日立ハイテクノロジーズ 住谷真裕
ゼロからビジネスを
立ち上げることに
意欲を燃やし続ける
【略歴】
1976年岡山県出身。明治大学法学部卒。2001年入社。
思い掛けないチャンスの到来に「熱い男」がより熱くなる
入社8年目。海外営業部門で一貫してエレクトロニクス業界の営業を担当していた住谷真裕に、願ってもないビッグ・チャンスが訪れようとしていた。
住谷は、入社3年目に韓国の総合電子機器メーカーの主担当となり、その顧客向けに携帯電話、デジタルカメラ、PC等に用いられるメモリー半導体用部材を供給するビジネスを展開していた。当時は、韓国の電子機器メーカーが急成長している時期で住谷もその流れの中に身を置いていた。
「とにかく需要がものすごく旺盛だったので、仕入れ先の生産能力を増強したり、外注加工メーカーに設備投資するなど、その需要に応えるために奔走しました。その結果、ビジネスを拡大することができましたし、韓国の顧客からも『日立ハイテクにサポートしてもらって助かったよ』と高く評価してもらいました。より一層深く信頼されるようにもなったと自負しています」
そう住谷は言うが、本当は心のどこかに何か物足りなさを感じていたのも事実だ。というのは、それまでにしてきた仕事のほとんどは先輩たちから既存のビジネスを引き継いだものであり、自分でビジネスを開拓したわけではなかったからだ。ゼロから仕事を立ち上げるという、商社の営業担当者にとって最高の醍醐味を、住谷はまだ味わっていなかった。
しかし〝念ずれば通ず〟、チャンスは意外と早くやってきた。
当時、家電業界ではテレビがPDP(プラズマ・ディスプレイ・パネル)の時代から液晶の時代へと進展し、次第に勢いのある韓国のメーカーが日本の家電メーカーを圧倒するようになってきた。そこで、日本の家電メーカーは劣勢を挽回するために、「韓国の部材を使え!」という大号令を発したのだ。
一方、住谷が所属する部門では、PDPに関するビジネスは展開していたが、液晶に関するビジネスはまだ積極的ではなかった。しかし会社の上層部では「液晶で何か新しいビジネスができないか」という話が頻繁に議論されていたのだ。
そんなある日のこと、韓国の電子メーカーから住谷に思い掛けない話が持ち掛けられた。「日立ハイテクさんにはこれまで、仕入れ先としていろいろ頑張ってもらいましたが、我々は今度、液晶テレビ用の光学シートの製造・販売を新しい事業として始めるので、我々の日本の代理店として協力してもらえませんか」というものだった。
それを聞いた瞬間、住谷の心が躍った。
「やっとチャンスが巡って来たぞ! これで、自分も新たな事業を立ち上げることができるかもしれない」と思わず小さくガッツポーズをしていた。
しかし、当然、独断で動くことはできない。住谷はすぐに上司の元に駆け寄った。社員でも住谷は〝熱い男〟として有名だ。上司はまたかと思ったが、住谷の話に耳を傾け、その内容を確認して彼の顔を見つめた。今が、そのときと判断したのだ。
「面白そうじゃないか。是非やってみろよ」
その一言で、決まりだった。
「ありがとうございます。一生懸命頑張ります」
その日は、友人と新橋で祝杯を挙げ、新たなビジネスの夢を語り明かした。
⇒〈その2〉へ続く