日立ハイテクノロジーズ 住谷真裕
ゼロからビジネスを
立ち上げることに
意欲を燃やし続ける
1泊2日の「食堂作戦」の繰り返しが功を奏する
当時、日立ハイテクは会社としては液晶関連のビジネスを展開していたが、住谷が所属する部門ではまだ手つかずの状態だった。上司と2人でこのビジネスに取り組むことになったとは言え、住谷にとっては未知の領域への挑戦だった。そこで、まず液晶関連の資料を読みあさり、日本における液晶関連の業界がどういう構造になっているのかを把握することに努めた。さらに、社内のネットワークを使って、「この部材を売り込むためには、どこの誰に当たればいいか」と訊き回った。
「うちの会社は、エレクトロニクス業界では実績がある会社なので、社内を歩けば、何処かに情報があるということは経験上なんとなく分かっていました。また私は、寮生活をしていたので、誰が、どういう業界で仕事をしているのかということも分かっていました。ですから、手掛かりを探すのはそんなに難しいことではありませんでしたし、みんな気軽に色々なことを教えてくれたので助かりました」
そんな縁で、国内電機メーカーのある人物を紹介してもらった。住谷はすぐにその人物に電話した。「光学シートの紹介に伺いたいんですが」と言うと、「分かりました、話を伺います」という返事だった。断られなかったことに安堵すると同時に、幸先のよさも感じた。これで顧客の工場を訪ねるきっかけができたわけだから、あとはとにかく突っ走るだけだ。実際、住谷は足しげく工場に通うことになる。
最初は、仕入れ先になる韓国メーカーの担当者と一緒に工場を訪問し、定期的にプレゼンを行った。しかし、彼らはそう頻繁に日本に来ることはできないので、住谷は1人で月に3、4回は訪問した。しかし、新参者に優しい世界ではない。住谷は粘った。
1回工場を訪問すると、住谷は自由に入れる食堂に一日中張り付いて、そこに出入りする工場のさまざまな人を捕まえては、臆することなく話しかける。それを必ず2日間にわたって続けた。
「これを売り込みたいんだけど、どこに行ったらいいんだろう」
「この人を紹介してもらったんだけど、この人と一緒に仕事をしている人は他に誰かいますか」
時には、遠回しにこんな風に訊くこともあった。
「このプロジェクトで言うと、決定権を持った人は誰ですか」
住谷は、そうした一連の行動を「食堂作戦」と称しているが、初めの頃は当然、食堂に出入りする人間の中には好奇の目で見る人も少なからずいた。しかし、そんなことで怯む住谷ではない。訪問を重ねるうちに、住谷が日立ハイテクの営業担当者であることが知られるようになり、人のつながりがどんどん増えていった。だから、「決して居心地は悪くなかった」と住谷は言う。上司からは「お前は行ったら、帰って来ないんだから」と言われたりもしたが、住谷には上司が自分を信頼し、我慢してくれていることが分かっていた。「その意味では、自由にやらせてもらえたと思っています」と住谷は感謝の気持ちを込めて言う。
そうした努力の甲斐があって、住谷は決定権を持つ人との本格的な交渉ができるようになった。しかし、そこには難問が待っていた。
⇒〈その3〉へ続く