日立ハイテクノロジーズ 住谷真裕
ゼロからビジネスを
立ち上げることに
意欲を燃やし続ける
アンテナを広げておけば、新しいビジネスチャンスは見つかる
光学シートの量産が始まった。電機メーカーには国内の工場以外にも北米、欧州、アジアにも生産拠点があるので、日立ハイテクが現地法人のローカルスタッフにも手伝ってもらい、それらの拠点にも供給することになった。電機メーカーとしては当然、現地の会社に対応してもらいたいわけだが、仕入れ先である韓国のメーカーには対応できる海外拠点がなかったので、日立ハイテクが対応することになったのである。
「海外に現地法人を持っていることはうちの会社の強みでもあるし、お客様にとってもメリットになるので、素晴らしいことだと実感しました。また、この仕事を通じて各工場に行けたことは、私にとっては大きなプラスになったと思います」
新しいビジネスは確かに拡大してきていたが、すべて順調だったわけではない。1年ほど経った時、品質と納期に関するトラブルが発生してしまった。住谷は当時の本部長と部長に同行してもらい、工場へ謝罪と対応の説明に行ったところ、昼過ぎから夜の10時まで、10時間もの間、延々と問い詰められた。あまりの怒りに返す言葉がなかった。
「本部長と部長には大変申し訳ないと思いました。ところが、本部長は帰り際私にこう言ってくれたんです。『君がいろんな苦労を乗り越えて、ここまで頑張って来た過程こそが大事なんだよ。その苦労と比べたら、こんなことは何でもないよ』と。それを聞いて、私は心から救われたと思いました。あの時の私にとっては、これ以上はないというくらいありがたい言葉でした」
住谷が始めたビジネスは、会社にも大きな利益をもたらしたが、それは住谷の情熱を多くの人たちが信頼し支えてきたからに他ならない。商材をもたない商社は〝人がすべて〟とよく言われるが、実はその人を支える企業風土があるかどうかということが、一番重要なのである。住谷がこのビジネスを通して得た一番大切な財産は、この信頼関係に尽きる。
新しいビジネスは、月商4000万円から5000万円というところまで拡大していたが、仕入れ先の事業撤退によって、結局2年弱で終わりを迎えることになった。しかし、電機メーカーと新たに取引関係を結ぶことができたことは大きな成果だった。また、工場の人たちとのさまざまな会話の中から、新しい商材のニーズをキャッチできたことも成果の1つだった。それが新しいビジネスになると確信した住谷は、すぐに立ち上げるべく動き出した。
商材のサプライヤー候補を何社か探し出し、その中から競争力のありそうな会社を絞り込み、最終的に電機メーカーに会社を選んでもらうことにした。すでに付き合いがあったので、話はとんとん拍子に進み、半年後には1億円の注文書をもらうことができた。
意気揚々とその注文書を持って上司に報告に行ったら、「よくやった!」と肩をたたいてくれた。だが、すぐに「いきなり1億円の注文なんて、本当に大丈夫か」と不安気に聞いてきた。住谷には、上司のその言葉が妙に気になったが、やがてその心配が現実となった。結局、その商材の材料が不足していて、商材を生産できず、1億円の注文書もただの紙切れになってしまったのだ。
「ビジネスとしては成立しなかったけれど、アンテナを広げておいて新しい商材候補を見つけ出し、お客様のところに話を持って行くことができたのは、私の中では成功だったと思っています。お客様が必要としているものがあったら、すぐに動き出して見つけて来ることができるのが商社であり、お客様にとっての存在価値だと思います。そこが何よりも面白いところだと私は思っています」
住谷は、どんな状況においても、ビジネスの芽を発見するためのアンテナを広げておくことを忘れない。
⇒〈その5〉へ続く