阪和興業 山本雄己
プロフェッショナル&
グローバルを体現する
鉄鋼の世界に魅せられる
10月から正式に冷延鋼板の営業を始めてからは、山本は指導員の先輩から商材やマーケットに関わるあらゆる知識を講義してもらった。なんとか勉強して追いつこうとするが、非常に高度な専門的知識ばかりだ。
「自分自身ができないことが許せないタイプなので、社内の関連資料を引っ張り出しては独自に調査をしたり、メーカーの技術者に直接ヒアリングをしたりと、当時は寝る間を惜しんで勉強していました」
新たな知識を習得する度に、今まで点でしかなかった情報が繋がって線になる。この繰り返しに経験値が合わさっていくことで、阪和興業のプロフェッショナル人材が育成される。山本はそんな積み重ねの中で、鉄の世界に魅せられた社員の1人だ。
「鉄鋼と聞くといかにもダイナミックなイメージだけがつきまといますが、実は非常に高度な技術力の結晶であるということを学びました。日本の製鉄技術は、間違いなく世界ナンバーワンです。素材自体の製造工程や原料に起因する数百種類の規格や特性があれば、その素材を加工する工場ではさらに数百種類の加工工程があります。そんな掛け合わせの中で生み出された製品が、我々の生活を豊かにしているんです」
入社してもうすぐ1年になるという2011年2月、今度は山本に海外出張の機会が巡ってきた。
鉄鋼メーカーの担当者と顧客が交渉する商談のパイプ役として同行をするという話だ。山本の担当外の商談だったものの、「折角たくさん勉強しているのだから、現地で行われている商売を肌で感じてきなさい」と上司が送り出してくれたのだ。中国の南部と香港を回る4日間の日程で、現地事務所の社員もいるので何かあれば任せておけばよいと聞かされていた。
「新人ですが、付き添いとして同行させてください」
40歳ぐらいの年格好の鉄鋼メーカーの担当者にあいさつすると、「そうですか。宜しくお願いします」という有難い返事だった。ところが商談が終わってみると、穏やかだったその担当者の表情が一変していた。
「君は何をしに来たんだい?」と問い詰められ、山本は返す言葉が見つからず当惑するばかりだった。
このとき、交渉は暗礁に乗り上げていた。オーストラリアで洪水があった影響で製鉄用の燃料炭が高騰したため、鉄鋼メーカーは商品を値上げしたいと申し出たのだが、提示金額は、顧客にはまったく受け入れられないものだったのだ。それまで定期的に取引をしてきた関係だったにも関わらず、互いに歩み寄るきっかけが見つからなかった。
「もともと成約するのが難しい話でしたが、問題は私が商社パーソンとしてとるべき立ち振る舞いをまったく理解していなかったことです。日系メーカーと海外顧客との間に立って、たとえ難しい交渉であろうとなんとかして妥協点を見つけてビジネスを繋ごうとする、そんな努力だけでもして欲しかったと言われました」
初の海外出張で緊張したこともあるが、話のやりとりをノートに記録するだけで精一杯で、なんとかしなければという姿勢すら見せられていない。商社が本来頼って貰うべき時に、自分は何もできなかったのだと、遅まきながらも山本は悟った。
⇒〈その4〉へ続く