稲畑産業 伊藤 豪
激動の液晶パネル市場を
行動力と誠実さで勝ち抜く
入社後2カ月で任された商材は「金属の粉」
神奈川県に生まれ、青山学院大学を卒業。大学時代は「バイトして、サークルで野球をやって、特に何かすごい海外経験があるわけでもなく、ごく普通の学生でした」と振り返る。大学3~4年の間も、特にこれという将来目指すべき分野は見つからなかった。
「それならいま無理して見つける必要もないな、と。逆に会社に入ってからいろんな経験を積める業界はどこかと探すうち、商社への志望が固まっていきました」
就職活動にあたって、伊藤は、すぐ現場に出て仕事がしたい、そういう場を提供してくれる会社に行きたい、と考えていた。そんな前のめりな気持ちが、専門商社・稲畑産業への道を開いていく。
「規模の大きな会社も受けましたが、当社くらいの規模感が自分に合っていると感じました。大きなところだと自分を出せずに埋もれてしまうかも、という思いもありましたね。面接で会った若手社員もみんな早くから外に出てバリバリやっているイメージで、これはいいなと」
もっとも会社の専門分野に対する認識が深まるのは、まだ先の話だ。最終面接では食品事業への配属を希望したが、それはただ商材が分かりやすかったからだ。入社が決まると情報電子部門に配属され、全くなじみのなかった世界に飛び込むことになる。
入社して最初の2カ月間は情報電子関連の部署を転々としながら、先輩について外回りを経験する。そして6月には、早くも最初の担当が決まった。
初めて任された商材は、ある金属の粉。伊藤がそれまで見たこともない代物だ。
その正体は、ACFと呼ばれるフィルムに導電性を持たせるために用いる金属粒子。ACFは液晶パネルに使われる部材の1つであり、プリント基板とパネルを固定するとともに通電させる役目がある。伊藤はこのACFを作るメーカーを顧客として、金属粒子を始めとする原材料のハンドリングを任されたわけだ。
ほかにもACFの保護用のフィルム、接着剤、また化学反応を助けるための添加剤など、10種類ほどの部材が伊藤の管理に委ねられた。スマホもまだ登場していなかった当時、液晶パネルはいまほど身近な存在ではない。その部材に使われる微細なフィルム、さらにその原料になる無数の商品群――。初めて見るものばかりの世界で、伊藤のチャレンジが始まった。
⇒〈その3〉へ続く