商社の仕事人(25)その5

2017年06月30日

稲畑産業 伊藤 豪

 

激動の液晶パネル市場を

行動力と誠実さで勝ち抜く

 

 

情報戦を勝ち抜く秘訣は「まず自分が行動すること」

それでも伊藤にとって、LED封止材はまだ安定したビジネスだったという。

「今振り返るとそう思いますね。市場がすでに安定しているので、さほどの問題も起こりませんでした。もっとも市場が安定しているということは、売上を伸ばす余地も見出しにくい。営業としてはやはり大きな流れに乗って数字を上げていきたいんですが、そこでのジレンマは常にありました」

そんな伊藤に新たな転機が訪れたのは、2010年。特にこれといった前触れもなく、液晶パネルメーカーを顧客とする現在の担当に移るよう辞令が下った。最初に割り当てられた商材は、液晶パネルを光らせるバックライト用のシートだ。

冒頭で触れた通り、液晶パネルは入社以来在籍する情報電子部門の主力分野。さらに当時はスマホや大画面テレビの普及が加速していた。台数だけでなく、画面が大きくなればそれだけ部材を扱う専門商社の売上も伸びる。稲畑産業もとりわけテレビの大型化にともない、国内外での業績を伸ばしていた矢先だ。伊藤は、そうした波に乗る業界の最前線に飛び込んでいくことになった。

液晶パネル事業で伊藤の新たなテーマとなったのは、モデルチェンジを控えた競合他社との受注競争だ。液晶テレビなどエンドユーザーの製品は通常、1年に1~2度のモデルチェンジサイクルがある。翌年のモデルの生産が始まるのは、年末頃。それに先立って8~10月頃には、伊藤の顧客である液晶パネルメーカーが作る製品の仕様が固まる。ここで受注を確保できないと、来年の商売はなくなる、数十億の売り上げが立たない。

そこで決め手となるのが価格だ。これを左右するのが仕入れ先から好条件の数字を引き出すための情報、というのは冒頭で述べた通りだ。だがもちろん、ただ教えてくださいと頭を下げれば教えてもらえるわけではない。競合が提示する金額を巡ってはったりも飛び交う。

伊藤がそんな情報戦・神経戦を勝ち抜いてきた秘訣は、入社当初から培ってきた地道で泥臭い営業スタイル。つまり用があろうがなかろうが、とにかく顧客の元へ通い続けることだ。購買だけでなく設計など各部署の担当者を訪問する。あるいは自由に開放されている先方の商談スペースで、ただ何もせず一日中座り続けることもある。先方も知った顔を見かければ、つい話しかけるのが人情だ。

「あ、伊藤君、また来てるの。そういえば顔を見て思い出したんだけど、1つ頼みごとしていいかい?」

「何でしょうか。今暇ですからできることならなんでもやりますよ」

些細な雑用でも何でも、そこからまず伊藤自身が動く。そうすることで信用、信頼が生まれる、というのが伊藤の信念だ。

「信頼を勝ち取るには、口先だけでは駄目なんです。実際に自分が動いて、行動で示さないと」

金曜が納期と言われたら、木曜の納入を目指す。来週と言われたらその3日前、難しくても1日前には結果を出す。常に細かいスケジュールの管理、確認を怠らず、顧客に安心感とうれしいサプライズを提供する。そんな行動力がビジネスの信頼につながり、途切れず受注し続ける好材料を自然と呼び入れることになるわけだ。

営業の原点に立ち返って次を見越したビジネスを模索

特に移り変わりが激しいスマホ市場では、伊藤もシビアな対応を迫られることが少なくない。典型的なケースが、突然のモデル廃止。そのモデル専用に特化した部材の在庫が、往々にして行き場を失いかねない。そうした事態にもあらかじめ先回りして備えている伊藤だが、いよいよとなれば顧客との苦しい折衝にも臨む。

「当社もこの線までは引き取ります。残りはどうか御社で買い上げていただけませんか」

ひりひりするような厳しいやり取りが続く。負担の比率がどのラインで折り合うかは、その場での交渉次第だ。あるいは金額がある程度以上大きければ、今度は双方の上司を引き合わせるセッティングもしなくてはいけない。

「イケイケな時はこういったリスクに気づきにくいんです。多少デッドストックがあっても処理できてしまいますから。でも落ちる時はドーンと落ちる。これが液晶、特にスマホのビジネスのリスクですね」

変化が早いだけに、将来の見通しも不安定だ。伊藤が現在の担当になって数年経過後、中国語圏メーカーの台頭に市場は揺れ動いた。現在も市場全体は緩やかな拡大を続けている反面、数量に対して価格の下落が激しい。そんな中伊藤が取り組む直近のテーマは、市場を制するエンドユーザーの製品に乗ることだ。例えば中国で勝ち組のスマホメーカーがあれば、そこをがっちり掴んでいる顧客を攻める。これまで培った地道な営業スタイルに磨きをかけつつ、市場の荒波で奮闘する毎日だ。

「この業界もプレイヤーが増えすぎて、これから淘汰が進んでいくのではないかと考えています。でも我々の力だけで市場をどうこうできるわけもありませんし、いまはこの慌ただしい環境を楽しみながらやっていくしかないんだなと、そう思っています(笑)」

同時に伊藤は液晶パネルの次を見越した新しいビジネスも構想している。当面の案件にもこれまで通り打ち込むが、商社の原点に立ち返って新しい仕事を切り開いていかないと生き残れない――。そんな危機感が伊藤にはある。既存設備の省コスト化からスマホの省電力化まで、まずは液晶パネルに軸足を置いた新規開発から地道に模索中だ。

そして伊藤が立ち返る原点とは、これまで築き上げてきた人とのネットワーク。それをキープして広げていくには、今まで通り誠実に行動していくしかない――。入社10年を経て、伊藤はますます仕事に対する信念に向かって突き進んでいる。

 

学生へのメッセージ

「僕は稲畑産業がいい会社だと思っていますが、だからといってぜひ入社してくださいとは言いません。他人に言われたからそう思うのでなく、自分たち自身でよく見極めてから入社するかどうか判断してほしい。やる気さえあれば商社はどこでも似たようなもの、というのも正直なところですよね(笑)。ただうちは人数もほどほどで早いうちから役員と話す機会もありますし、縦横の信頼関係などを見ても、風通しのいい社風だと思います。そのあたりもぜひ自分の目でよく確かめた上で、進路を選んでほしいですね」

 

伊藤 豪(いとう・たけし)

【略歴】
1982年神奈川県出身。青山学院大学国際政治経済学部卒。2005年入社。高校時代は野球に打ち込み、大学時代もサークルとして続けていた。入社早々から先輩たちの姿を見つつ、営業はとにかく外に出ていくのが大事だと痛感。「外に出たくない、部屋の中が好きという人は向いていない仕事かも知れないですね(笑)」と語る。

 

『商社』2017年度版より転載。記事内容は2015年取材当時のもの。
写真:葛西龍

 


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