岩谷産業 近藤功茂
エネルギービジネスで、
〝点〟から〝面〟への戦略を
展開する
【略歴】
1977年東京都出身。早稲田大学理工学部。2000年入社。
次世代のエネルギーを切り開く企業理念に魅せられる
岩谷産業の基幹事業のひとつであるLNG(天然ガス)事業。主に西日本地区におけるLNG事業のマネジメントを行う近藤功茂は、〝軍曹〟と周りから呼ばれることがある。仕事をやり遂げる推進力、俯瞰力、交渉力、緻密な計算力、そして何よりも人間的な魅力からそう呼ばれている。
「早稲田ラグビー部の赤黒ジャージというのがあるでしょう。あれに憧れて、高校には早稲田大学高等学院を選びました。もっとも大学に入って以降は、もっぱらトライアスロンに熱中していましたが」
1977年生まれ、限界に挑戦するタフなスポーツに打ち込んできた近藤。スポーツマンらしいがっちりした体系で、弁舌も力強い。だが理工学部出身だけあって、論旨は理路整然として明確だ。
大学での研究テーマは〝環境〟。早稲田大学理工学部・環境資源工学科でリサイクル分野を専攻し、当初は大学院への進学を目指していた。だが外向きでアクティブな性格の近藤は、大学での研究生活が肌に合わないと感じ、大学4年で急遽進路を就職に切り替える。
そんな近藤と岩谷産業を結びつけたきっかけは〝環境〟であった。近藤が就職活動を行っていた1999年は、京都議定書採択の2年後。代替エネルギーや二酸化炭素排出抑制などの環境対策がビジネス分野で脚光を浴び始めた時期だ。
そうしたなか近藤は東京・新橋の一角で、風力発電のプロペラと出会う。そこは就職活動で訪れた岩谷産業の本社ショールーム。当時、力を入れていた〝クリーンエネルギー〟のコンセプトに基づいて、風力を始めとする新エネルギーの展示を行っていたのだ。近藤は自分がテーマとしてきた環境を次世代のビジネスとして展開していこうとする岩谷産業の姿勢に惚れ込み、同社に将来を託す決心をする。
「特定のビジネスに強い思い入れがあるわけではありませんでしたが、環境ビジネスに関わりたい。漠然とそう思っていました」
もっとも当時の志望は営業ではなく、技術・エンジニアリング部門だ。「環境とビジネスの両立を支える技術のエキスパートになる」――。こんな意欲を燃やして同社一本に絞って就職活動に打ち込み、志望通りクリーンエネルギー関連の部署に配属となった。
現在は「究極のクリーンエネルギー」である水素のトップサプライヤーとして地位を固めている岩谷産業だが、走り出した頃の環境ビジネスは当然ながら試行錯誤の連続だった。ドイツから風力発電システムを導入するビジネスなど、世界的な市場の荒波の中で撤退していった案件もある。
新しい事業が直面するそんな浮き沈みの真只中に、近藤は放り込まれた。
⇒〈その2〉へ続く