商社の仕事人(27)その3

2017年07月12日

岩谷産業 近藤功茂

 

エネルギービジネスで、

〝点〟から〝面〟への戦略を

展開する

 

市場の逆風に耐え抜きながら手腕を磨いた「新人営業」時代

営業への異動は、近藤にとって望むところだった。それはマイクロコージェネの販売を担当する新しい部署の立ち上げにともなう措置だった。肩書きで見ると部署や担当業務が変わっていたが、近藤にとってはそれまでの仕事の延長で新たな一歩を踏み出したに過ぎなかった。「自分でビジネスの絵を描いて売り込む」。そんな営業の世界に熱い意欲を燃やす近藤は、勇んで飛び込んでいった。

だがこの新たな挑戦は、激しい業界の逆風に阻まれる。

2000年半ば、国内メーカーの製造拠点の海外移転が進むなか、国内で新たに工場が建つことは少なくなっていた。飛び込み営業をしても門前払いされるのは日常茶飯事。新しく工場や施設を建設する時なら、どの設備にするか選ぶだけなので提案は受け入れられやすい。しかしすでに使い慣れたものを別のものに変えるというのは、どの企業も大きな抵抗感があるからだ。

それでも近藤は諦めることなく顧客候補を抽出しては、飛び込みで営業を続けた。正面突破を狙って体あたりを続けていくが、提案が空回りすることは多かった。

成果は徐々に上がってはいたが、トータルで見て成功しているとは言い難かった。だが近藤はこうした苦い経験から、多くのことを学んでいった。

「いやぁ、悪かったですね。近藤さん。例の件、私も推してはいたんですが、いきなり社長の鶴のひと声で…」

交渉を積み重ねて成約寸前まで行ったところで先方の業績が悪化、あるいは社長の人間的なつき合いで他社に流れる。そうかと思えば、ささいなことからトントン拍子に商談がまとまる。当初はこんなことの繰り返しだった。

「その頃は正面突破しか考えていなかったので、効率が悪かったんです。土壇場でひっくり返らないよう押さえるべき点を押さえる、まとまる商談とそうでない商談を見極める。今であれば当り前にやっていることですが、これも当時の経験を通じて1つずつ学んでいったことです」

やがて近藤が所属する部署が出発して1年が経った頃、追い打ちをかけるかの様にコージェネ業界全体に冬が訪れる。電力会社が原発の活用などで値下げをする一方、ガスや石油などの燃料価格が高騰し始めたのだ。価格が逆転したことでコージェネが割高になり、発電事業を手かげていた他社も相次いで撤退。誰が考えても導入するメリットが見出せない状況に陥った。だがそんな中でも、営業は数字を上げていかなくてはいけない。コージェネが売れないなら、代わりに空調、エアコン、給湯器、ボイラーなど、エネルギーに関するものなら何でも売る。少しでも部署の利益を上げるため、近藤はひたすら地道な営業活動に打ち込んだ。

⇒〈その4〉へ続く

 


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