商社の仕事人(32)その1

2017年08月21日

岡谷鋼機 佐藤浩之

 

ものを売るだけでなく、

製造も人材育成も

グローバルに展開できる

 

【略歴】
1979年宮城県生まれ。福島大学経済学部卒。2002年入社。タイに滞在していた2009年に、一時帰国してメッキ技能士の資格も取得した。

 

社内の通称は「メッキの佐藤」

商社に勤めながら、タイの製造子会社に駐在中に亜鉛メッキの変色防止法を発見した〝メッキのプロ〟がいる。岡谷鋼機では「メッキの佐藤」で通っている入社12年目の佐藤浩之だ。

「六価クロムから三価クロムへと切り換えたときに問題が発生し、世界中からクレームが来ました。今までの人生でこんなにも怒られたことはないというくらいに取引先から怒られ、なんとかしなければと必死でした」

こう振り返る佐藤だが、経済学部を卒業し、理系の専門教育を受けたことはない。いかにして苦境を打開したかはまた後で触れることにしよう。

岡谷鋼機に入社してすぐ、佐藤は東京本店鉄鋼・特殊鋼貿易本部の電子材室に配属された。ここは日本の大手鉄鋼メーカーの製品を扱う。佐藤が担当する販売先は国内大手家電メーカーで、ブラウン管を海外生産する全ての工場に特殊鋼板を供給する立場になった。適正在庫量とされる2か月分をキープすることが至上命題で、工場ごとの生産計画と足元の在庫の数字をもとに毎月の生産量を決め、鉄鋼メーカーに伝えて価格交渉をする。鋼板は船積みで送るので届くまで2か月はかかり、その間のタイムラグも計算に入れる必要があった。

「遠方、特にヨーロッパですと更に時間がかかるし、台風が来ると予定より遅れてしまいます。万一欠品が出たりしたら現地の生産が止まってしまいます。一度だけ、飛行機便で送ったことがありました。何百万円もかかりますが、損失を出しても背に腹はかえられません。

在庫の感覚がつかめるまでは怖かったですが、それでも岡谷鋼機の現地駐在員が情報を聞き取って整理して伝えてくれるので、それほど大変ではありませんでした。難しかったのは鉄鋼メーカーとの交渉です。トップクラスの家電と鉄鋼のメーカーの間に入って価格を決めるわけですが、ブラウン管の需要が減っていたこともあって条件は厳しく、価格交渉の難しさを入社1年目から思い知らされました」

電子材室は1年目の佐藤のほかに2年目と3年目の先輩が一人ずつ、あとは室長という部署だった。頼れるベテランがいないので、自分でやるしかない。扱っている製品は実際に見たことがなく、工場の現場ももちろん知らない。2年目の年末に、やっと海外に行って生産ラインで自分が発注したロットナンバーの鋼材を初めて見ることができた。

「あ、これ、6月に発注した部品だ」

自分がしてきたことが現物として目に見えて、ようやく仕事への実感が持てた。

⇒〈その2〉へ続く

 


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