商社の仕事人(32)その3

2017年08月23日

岡谷鋼機 佐藤浩之

 

ものを売るだけでなく、

製造も人材育成も

グローバルに展開できる

 

社長から一任された新工場建設プロジェクト

パタヤはバンコクから車で2時間以上と遠いが、日本から進出した企業の工場が集まっている。2005年頃からは亜鉛メッキとニッケルクロムメッキの需要が急増し、UAMに進出してくれないかという誘いが多くなっていた。

メッキの需要が増えた理由の1つは、経済成長によってタイ国民の足が二輪車から四輪車へと移ったからだ。既に述べたようにここではメッキをしてピカピカに輝くバンパーは必須アイテムで、ピックアップトラック用になるとかなりの大きさになる。それに対応できるだけのメッキ工場が不足していた。

しかもタイではこの当時、海外からのメッキ業者の参入を認めていなかった。だが既に進出している企業が工場のラインの一部を増設するのは問題ない。そのためUAMでは社外からも部品を預かってメッキをする委託受注がどんどん増えていた。サムットプラカーン工場のラインでは手狭になり、賄いきれなくなるのは目に見えている。そこでパタヤに四輪車用のメッキ専門工場を建設することが決まったのである。

UAMは1982年に設立されて以来、岡谷鋼機の子会社の中でも売上を伸ばし、利益も稼ぎ出している優等生だ。岡谷鋼機グループとしても重要な存在なので、予算は十分についた。後にメッキ部門は売上の3割、利益の半分を占めるに至るが、当時はまさにその急カーブを描いている途上にあった。

「商社系でメッキ製造ラインを持っているところは恐らくないと思います。これほど伸びるとは日本でも思っていなかったでしょう。メッキの比率がどんどん大きくなる中で、UAMの社長は大学を出て3、4年目の若造の私に新工場建設のプロジェクトを任せてくれました。タイ人の技師と一緒に様々な業者にヒアリングして、メッキラインをどうするか検討し、どの設備を入れるかを選定しました。すぐに決定して実行できるスピード感があり、自由にやらせてもらったので、この1年間は特に楽しかったですね」

ただ設備の性能やメッキ技術については、専門家でない佐藤は理解できない。この話に乗って本当に大丈夫なのか。不安になることも多かった。

「そこで相談相手として、取引のある薬液メーカーから日本国内のメッキメーカーを紹介してもらいました。電話やメールで話の内容を伝えて、どう思うかと質問すると丁寧に答えてくれるので助かりました。タイに来たときに歓迎して案内するぐらいしかお礼ができなかったのですが、本当にいい方々ばかりでした。薬液メーカーの担当者とも、友達のような付き合いが続いています」

2006年に着工したパタヤ工場は、タイで一番大きい深さ3メートルのメッキ槽も新たに設置して翌2007年の年初から稼働し始めた。

⇒〈その4〉へ続く

 


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