商社の仕事人(32)その5

2017年08月25日

岡谷鋼機 佐藤浩之

 

ものを売るだけでなく、

製造も人材育成も

グローバルに展開できる

 

なにがあっても逃げ出さなかった

バンパーのニッケルクロムメッキは、ものが大きいだけに難しい技を要する。しかも再メッキは不可能で、ちょっとでも傷やシミがあれば不良品となる。自動車メーカーは不良品をスペアパーツとして販売することを禁止しているので、切断して二束三文のスクラップにするしかない。メッキに失敗するとUAMが買い取り、それまでの製造コストにあたる金額を払わなければならない。その上ニッケルもクロムも値段が高い金属で、バンパー1個をメッキするのに何千円分もかかる。1個失敗するとかなりの損失となる。

「パタヤ工場を立ち上げてからは、私がバンパーのメッキ担当になりました。売上も利幅も大きい一方で、不良品率が高く収益を圧迫していました。新工場ではずっとメッキラインの横に立っていました」

メッキは一定時間薬液に浸けておかなければならず、その前に油分を取り洗浄しておく処理作業も必要だ。そこで予定通りに部品が流れてくることを前提にして事前に生産計画を立て、自動車メーカーのラインの要請に合わせて納品する段取りをする。

ところがメッキ処理は部品が完成する直前の最終段階になるので、それまでの工程で遅れが出るとしわ寄せが来る。事前に連絡があればまだ対応の余地があるが、急に品物が来なくなることもたびたびだった。遅れたからと後でまとめて届いても、一度にメッキはできない。

工場は24時間稼働で、夜の納品が時間通りにできたか心配になると、バンコクの家に帰っても眠れない。精神衛生上よくないし、日本人が先に帰ってしまう姿も見せたくない。佐藤は工場に泊まるのが習慣化していた。納期通りに納めないと、トラックの製造ラインが止まってしまう。そんな事態になりかけたことも何度かあった。

「今思い出しても、タイではよく怒られました。怒られるときはどうしても受身になり、一歩退いてしまいがちですが、ボクシングのクリンチのようにむしろ相手に一歩近づいて懐に入り、相手の勢いを静める、という対応の仕方も覚えました。怒っている理由は相手が我々に非があると考えているからで、その対策や対応を、一歩踏み出してしっかりと説明すれば相手も理解してくれるのです。逃げなかったというのは、自信を持って言えることです。そうしなければ何も残らなかったし、〝メッキの佐藤〟もなかったでしょう」

佐藤がタイに来たとき、UAMの不良品率は10%を超えていた。「バッドニュース、ファーストだ」と何度言ったか分からない。タイでは大勢の前で叱るのはタブーなので、別室に呼んで、どれだけ損害が発生するのか、取り返すのに何人が何時間残業しなければならないかとなるべく冷静に説明した。10%を超えていた不良品率は、6年後には2%を切るまでになった。これは佐藤のコミュニケーションと改善の積み重ねの賜物と言える。

そして、やることはやったという達成感もあった頃に、佐藤は再び日本に呼び戻された。

建設の世界でも新たな挑戦を

2010年の3月に日本に帰ってきて、配属されたのは貿易本部の鋼材室だ。国際的な石油資源開発会社に主にステンレスパイプを輸出する。これまで日本や欧州の鉄鋼メーカーの牙城だったハイエンド製品だが、そこに中国企業が食い込み始めていた。ある日突然切り換えると通告されることもあり、価格競争も激しさを増して、日本の鉄鋼メーカーや商社は厳しい局面を迎えていた。

「日本製品の品質は圧倒的に優れていますが、これまでのようなチャンピオン価格は通らなくなっています。中国製品に替えられましたと鉄鋼メーカーに報告したら怒られるだけですから、そうなる前に値付けの再考をお願いしました。一方で岡谷鋼機は独立系なので、鉄鋼系の商社が行かないような販売先も持っています。そこにハイエンド製品のステンレスを新たに売り込むこともしました」

鋼材室に来て1年3か月後、その答えが出る前に佐藤は鉄鋼本部の建材室に異動になった。商材は丸棒と呼ばれるゼネコン向けの鉄筋で、海外勤務の長かった佐藤にとって国内市場は初めての経験となる。

建設業界は、1990年代始めにバブル経済が崩壊してから右肩下がりが続き、800万人いた就業人口は半分の400万人にまで減少した。丸棒を製造するのは規模の小さい電炉メーカーがほとんどで、それほど高い品質が求められるわけではないため価格競争になる。日本の電炉メーカーの丸棒はアジアでも最安値に近く、中国に輸出しているぐらいだ。建設業界市場が縮んでいる一方、ゼネコン、メーカー、商社の数はほとんど減少していないという厳しい状態が続いている。

しかもゼネコンが人件費を抑えるようになり、建設現場で働く人たちの収入が減った。重労働なのに、時給はコンビニのアルバイトと変わらない。消費税率アップ前の駆け込み需要でマンション建設が増え、東京オリンピックの開催でインフラの整備に拍車がかかっても、これでは肝心の働き手がいなくなる。

「そこで遠大な話になりますが、海外に職業訓練学校を作って、育てた人に日本で働いてもらったらどうかと考えています。その為には建設業法やビザなどの労働関係の国内法をクリアし、施工主の理解を得ることが必要です。丸棒も溶接など加工をしてゼネコンに納めれば差別化が可能ですが、その加工をやってくれる国内の業者は減少傾向にあります。そこでこれも海外に展開して、タイの建材メーカーから供給できないか今検討中です。このままだと沈んでいってしまうかもしれない業界を守るために、すぐには利益につながらないこともしていかないといけない。岡谷鋼機は商社機能だけでなく、業界自体を守るといった機能を果たすこともできるはずです」

世界中にネットワークを持っている商社だから、それができる。特に鉄は岡谷鋼機の大きな強みである。

もしかすると、何年か後には人材派遣業をしているかもしれない。佐藤は、行く先々でそれまでなかった新しい何かを開拓しようとしている。

 

学生へのメッセージ

「タイに行くと知らされたときには、早過ぎたかなとも思いましたが、今考えると若いから恥をかくことを恐れずになんでも聞くことができたし、タイ語も覚え、たくさんのことを吸収できました。海外で工場を立ち上げるチャンスがあれば積極的に手を挙げたいですね。そこでメッキ加工を始められればさらにいいですが。就職活動のときは海外に出る機会が多いと思って商社を志望し、自動車メーカーや金融も回ってこれはないなと納得して商社に入りました。とはいえ、その後自動車メーカーとはがっぷりと付き合うことになり、6年間製造現場にいるうちに自分は工場にも合っているんだと知りました。このように後から認識が変わることはあるかもしれませんが、少なくとも納得して入社できるようにいろんな業界を見て就職活動をしてください」

 

佐藤 浩之(さとう・ひろゆき)

【略歴】
1979年宮城県生まれ。福島大学経済学部卒。2002年入社。タイに滞在していた2009年に、一時帰国してメッキ技能士の資格も取得した。

 

『商社』2015年度版より転載。記事内容は2013年取材当時のもの。
写真:葛西龍

 


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