岩谷産業 伊藤俊輔
「自分の本当の立ち位置」
を見据えながら、
海外との緊密な関係を築く
殺到するようになった英語の電話とメール
伊藤が現場での業務を通じて身につけたものは、ほかにもある。その1つが英語だ。
「直面する仕事に取り組みつつも、常にその先は考えていました。私の場合、海外へ出たいという強い意思があったんです。それで海外からガスを調達する業務を担当したいと、上司に伝え続けていました。ただしそう言いながら、実は英語が苦手だったんですよ(笑)」
伊藤は大阪外国語大学出身。専攻は中国語だ。
「中国語を学ぼうと思ったのは、『三国志』がきっかけで中国史に興味を持ったから。それで大阪外大へ進んだんです。外大出身というと英語も当然できるものと思われますが、決してそうじゃなかった。大学ではラグビーに明け暮れて、英語の勉強はサボッていましたから(笑)」
卒業後に仕事で海外に出たいという夢も、同じ頃に育んだ。伊藤は大学在学中に南京へ1年間留学し、中国語を集中的に学ぶ。
「商社志望の理由は、ラグビーつながりの先輩たちが商社へ行っていて、話を聞くと面白そうだなと思ったから。日本にないモノ、または文化を海外から持ってきて、根付かせる。そうした海外と日本の橋渡しのような仕事に憧れを感じました。ちょうど当社はその頃中国でのLPガス事業を積極的に展開していた時期でした。商社と中国というのが、私にとって岩谷産業との接点になったんです」
ところが入社したとたん、中国でのLPガス事業は撤退。「結局、入社してから仕事で中国語を使ったことは一度もありません(笑)」という。やがて海外への意欲を燃やし続ける彼にとって、英語と本格的に向き合う時がやってきた。念願叶って海外の調達部隊への異動が決まったからだ。
「異動は入社5年目です。最初にやったのは、英語で書かれた契約書の山と悪戦苦闘することでした」
新しい業務の根幹は、国内で必要なガスを海外で買ってくること。海外のサプライヤーや同業他社と渡り合いながら、常にベストなタイミング、コスト、量でLPガスを確保しなくてはいけない。従来の仕事がいっそう複雑かつ世界的なスケールに拡大した。
「メールは1日に30~50通くらいでしょうか。当時の英語力では読むだけで1日仕事なので、緊急性の低いものは週末にまとめて読んでいました。もちろんメールはCCで上司などにも共有されるので、重大な見落としは起こらない仕組みです。ただし『英語が苦手』は言い訳になりませんから、対応が遅れれば『なんですぐにやらないんだ!』と叱られるのはしょっちゅうでした」
さらに大変だったのが電話。しどろもどろで対応した後、メールで「さっきの件はこう理解していますが、間違いないでしょうか」と内容を確認するのは必須だった。
「これではメールも電話も時間がかかって仕事になりません。ですから当時は必死で英語をやりました。いまも得意ではありませんが、いやでも実務で使わざるを得ない状況であればこそ、効率よく身につくと実感しています。そうなる前にしっかりやっておくに越したことはないのでしょうが、ただ漫然と教室に通ったりするより、必要に迫られて死にものぐるいになったほうが絶対に上達は早いでしょうね」
⇒〈その4〉へ続く