商社の仕事人(34)その4

2017年09月21日

ユアサ商事 菅沼知彦

 

転勤のたびに経験を重ねて

新しい商売を身につけていく

 

 

4か所目の勤務先は中国

ユアサ商事で海外トレーニー制度を始めることが決まったのは2011年6月のことだった。海外の現地法人に1年間駐在して、実際の業務も経験する。その一期生となったのが菅沼だった。

「海外勤務はぜひ経験したかったし、二十代で行けるのは自分にとってすごくプラスになると思って迷わず応募しました。応募書類にTOEICのスコア提出が必要だったので、海外トレーニー制度が始まると聞いたその日に試験を受けるための書類を送りました」

翌2012年4月、菅沼は上海に向かった。今度は自ら望んでの転勤である。

最初に半年間、上海で先輩の営業担当に同行しながら貿易実務を身に着けた。その後、上海から車で1時間ほどのところにある蘇州の事務所に移り、一人で新規開拓の営業に回った。訪問先は日系企業の工場で、主に日系の工作機械を売り込んだ。中国進出企業一覧を見て毎日電話でアポを取り、半年間で70件を回った。ただ、闇雲に営業をかけた訳ではない。半年という限られた期間の中で、如何にして受注に結び付けるかを考え、ターゲットはある程度事業規模が大きく、中国に進出してから3年目ぐらいの比較的新規設備導入に積極的な工場に絞り込んだ。

しかし、タイミングはよくなかった。2012年秋頃、尖閣諸島問題を発端とした反日感情の高まりの中で、日本からの新規投資はほぼ凍結状態となった。中国でのビジネスは明らかに曲がり角にさしかかっていた。

「新規開拓をするのはほぼ初めて。それだけでもプレッシャーに感じていました。ルートセールスではそれまで会社同士で培ってきた関係や歴史がありますが、新規開拓では営業担当の私が会社の代表です。それに工作機械の商談をまとめるには、時間もあまりありませんでした」

半年間のうちに成約に至った案件はなかった。だが菅沼が中国を離れてから、その苦労は報われることになる。

「菅沼さんが開拓したあのお客さんの見積、通りましたよ」

菅沼の後を継いだ中国駐在の営業担当から、こんな電話が何度かかかってくるようになったのだ。耕して種をまき、収穫を手にする前にバトンタッチしたわけだ。

中国語も、家庭教師をつけて1年間の滞在期間のうちに日常会話ぐらいはできるようになった。これも商社マンにとってはひとつの財産である。

⇒〈その5〉へ続く

 


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