稲畑産業 白井己裕
徹底した“現場主義”が、
ビジネスを大きく広げる
【略歴】
1987年愛知県生まれ。関西大学経済学部卒。2010年入社。
突然の早朝電話
「何のために行かせたと思ってるんだ! 何か持ち帰ってこい!」
場所は中国のとある新興工業団地。門を閉ざしたままの工場の前で、携帯電話から上司の怒鳴り声が響く。白井己裕が稲畑産業に入社してまだ1年も経たない頃のことだ。
稲畑産業の情報電子第3本部・第1営業部が手がける太陽電池事業。白井は上司と2人だけのチームで、部材となる特殊なガラス板を新たに取引が始まった中国の工場に発注していた。納品先は最大手の電機メーカー。家庭用太陽電池パネルに使用されるスケールの大きなビジネスだ。
ところが納期を1週間後に控えた時期になって、納入が間に合わないという情報が飛び込んでくる。白井が最初に上司からその連絡を受けたのは、日曜日の朝8時だった。
「現場では3週間ほど前から問題を把握していたようですが、それを1週間前になってやっと報告してきたんです。こちらはちゃんと稼働しているものと思っていたので、寝耳に水でした。状況もまだ掴めていませんでしたが、とにかく誰かが現地に飛ぶしかない。上司は他の案件で打ち合わせの予定が入っていたので、僕が派遣されることになったんです」
荷造りもそこそこに関西国際空港を発った白井。現地の空港に着いたのは、上司の電話から約8時間後の午後4時だった。工場はそこから車で3時間の距離だ。
「翌朝一番に工場へ向かいましたが、入り口の警備員が中に入れてくれないんです。その工場と当社の間には現地の別の会社が入っていて、現場の人々は我々に対してまだ閉鎖的でしたから」
問題の工場で働いているのは中国人だが、親会社はイタリアのメーカー。そして稲畑産業は中国に事務所を置くドイツのメーカーを介して、その工場とやり取りしていた。
白井は言葉も通じない相手に押し問答を続けたが、まるで埒が明かない。途方に暮れた白井が日本の上司に電話すると、とにかく中に入れの一点張りだ。
「このまま何もせずに日本に帰るわけにはいきませんでした。とりあえず工場の中に入らないと始まらないと思い、試行錯誤を繰り返しました。どうやって中に入れたかは企業秘密です(笑)」
中国の生産現場を訪問するのは、大手電機メーカーの担当者を伴って行った監査以来2度目だ。
「まず品質管理の中国人担当者を捕まえて、現状の把握から始めました。その結果、生産ラインの動きが遅すぎて納期にはとても間に合わないことが判明したんです」
⇒〈その2〉へ続く