稲畑産業 白井己裕
徹底した“現場主義”が、
ビジネスを大きく広げる
ふとしたきっかけから切り開いた「自分自身のビジネス」
その中国の工場の従業員は約200名。規模は小さいほうだ。中国の大きな工場は各地方から労働者を呼び集めることが多いが、そこは地元出身の従業員が多くを占めている点が特徴といえる。白井がこれまで足を運んだ回数は、かれこれ20回以上。多い時で月3回も現場へ飛ぶこともあった。
「電話はいまでも毎日しています。でも電話だけなら、誰でもできるんですよ。クレームなどの話は、面と向かい合ってでないと進まない。現場の人とも飯を食いに行って、一緒に酒も飲んで……。一番仲良くなったのは品質管理の責任者。彼とは英語でやり取りもできますしね。いまではもう公私を超えた大親友です。少し前に彼の最初の子供が生まれたのですが、自腹で子供服を買ってプレゼントしました」
もっとも太陽電池の部材の生産は、後に別のメーカーに切り替えられている。
「理由は価格です。残念ながらその工場は規模が小さく、価格競争力の点で他社に勝てませんでした。新しい製造元も、同じ中国の会社。そこも立ち上げから私が担当して、順調に流れるようになりました。規模も大きくボリュームもけっこうあるので、いまは新しく加わった先輩と2人で回しています」
だが最初の工場と白井との関係は、意外な方向へ展開している。きっかけは些細な偶然だった。
「メーカーを切り替える少し前、上司と中国の工場を訪れた時のことです。たまたま工場のなかに、太陽電池に使うガラスとはまた異なるガラスが展示してありました。これは何だという話になって聞いてみると、IHクッキングヒーターのトッププレートに使うセラミックガラスだと」
工場の親会社であるイタリアのメーカーからも、ちょうど同じ時期に人が訪れていた。同社は中国で生産したセラミックガラスをヨーロッパ向けに販売していたが、日本には全く市場を持っていないという。そこで白井の上司がかけ合って、こんな提案をした。
「白井に任せるので、日本での商権をいただけませんか」
こうして話がまとまり、白井に新たなミッションが課せられたのだ。
「やってやろうと思いました。当社の太陽電池は、課長が育てて動かしているビジネスです。しかしIHは当社にとって誰も手がけていない白紙の状態。それを突き詰めることができれば、課長にとっての太陽電池のように、私独自のビジネスに育てることができるのではないか……。そんなことを思いながら、取り組み始めました」
もちろん何もかも初めての商材なので、一から手探りでリサーチするところから始めていった。その結果、ある大手電機メーカーが販売先の有力候補として浮上。運良く稲畑産業の合成樹脂部門と取引があったつてを辿り、白井はアプローチをかける。
「調べてみるとそのセラミックガラスは構造が特殊で、競合が少ない。やはり中国で作っている会社はいくつかありましたが、品質がともなっていませんでした。いっぽう私が扱っているのはイタリアの品質管理が集約されていて、ほかの中国のローカルメーカーよりもクォリティが高い。それで私が飛び込んでいったところ、試しに使ってもらえることになったんです」
電機メーカーの担当者を中国の工場へ招き、現場を直に見てもらった。そこで大きなアドバンテージとなったのが、白井自らが労働者たちと汗を流して作り上げた管理体制だ。
「そこまで現地メーカーに深く入り込んでいる商社は、多くありませんから。何かあってもすぐ私が動いて、現場もレスポンスよく応えてくれる。そうした点が評価されたようです」
⇒〈その6〉へ続く