稲畑産業 白井己裕
徹底した“現場主義”が、
ビジネスを大きく広げる
「人」に惹かれて選んだ商社への道
白井は2010年4月入社。採用当時「ビールなら1ケースはいけます!」と言い放って採用担当を驚かせたのは、いまも語り種だ。
大学1〜2年の頃は「ひたすら遊びにいそしんだ」が、その後1年間休学してロンドンで暮らす。
「何となく流れで学生生活を続けることに、疑問が生じてきたんです。自分の将来はこのままでいいのか、と。ちょうどその頃バックパッカーで海外を渡り歩いていた先輩と飲む機会があって、刺激を受けたのがきっかけでした」
語学学校に入学する名目だったが、通ったのは2回だけ。その初日に出会った現地の知り合いたちと計8人で、アパートのシェアを始める。8人とも国籍はバラバラだ。やがて3か月かけて、ヨーロッパ全土をバックパック旅行で回った。ヨーロッパの中で訪れていないのはルーマニアとブルガリアだけという。
「あちこちで現地の人たちと触れ合いました。それで感じたのは、出会った人たちがみんな地元に強い関心や愛情を持っているということ。外へ出たいという思いをずっと持っていた自分には、それがかえって新鮮だったんです。『お前が生まれたのはどんなところだ』と聞かれても、彼らのように詳しく答えられなかった。自分のバックボーンも知らずに海外に出て、自分は何をしようとしているのか……。そんなことを考えさせられたロンドン生活でした」
帰国して始めた就職活動。海外へのこだわりといったん距離を置いた彼が最初に選んだのは、広告業界だった。「単にモテそうだと思ったので(笑)」と笑う白井。だがもちろん理由はほかにもあった。
「メーカーに入って同じ商品とずっと向き合うより、いろんな商品、いろんな業界と触れ合う仕事がしたかった。広告会社ならそれができるだろうと思ったわけです」
やがて志望先が変わったのは、たまたま商社志望の友人と一緒に商社を受けてからだ。
「自分にとって面白い人が多かったんです、商社は。それで急に興味が湧くようになり、次々と商社を回るようになりました」
最終的に稲畑産業を選んだ決め手も、やはり人だった。
「OB訪問で会った先輩がビジネスも遊びも真剣で、それは自分にとって仕事人の理想のようなタイプだったんです。それと最終面接で社長以下役員十数名が面接をしてくれたのも、他社と違うところでした。上の人までしっかり見て採用する会社なんだなあと、それがとても印象的でしたね」
この最終面接の前日、白井は大阪商工会議所に足を運んだ。そこに稲畑産業創業者、稲畑勝太郎の銅像があるのを、たまたま以前から知っていたからだ。白井は銅像に手を合わせ、心のなかでこう呟いた。
「入りますので、よろしくお願いします」
最終面接の終わりに何か言うことはないかと問われた白井は、この話をした。反応は、「大いに受けました(笑)」とのことだ。こうしてついに彼の進路が決まった。
⇒〈その3〉へ続く