稲畑産業 白井己裕
徹底した“現場主義”が、
ビジネスを大きく広げる
Tシャツに着替えて工場に通う
入社後に任されたのは、液晶ディスプレイで使うフィルムの担当。だが順風満帆なスタートというわけにいかなかった。
「毎日のように上司から雷を落とされていました。人としての接し方、責任感、生意気な部分とかについてですね。自分では分かっているつもりでも、学生気分が完全に抜けていなかったんでしょう。私は怒られても深刻に受け止めるタイプではないんですが、それでも辛かった。最初は結果どうこうでなく、ただもうがむしゃらに突っ走ったという感じです」
フィルムの担当としてルーティンワークの基本などを学んだ後、営業部の再編にともなって太陽電池事業の部署へ。太陽電池は、彼の上司となった課長が長年育ててきたビジネスだ。
他社との競争を経てようやく大手電機メーカーへの納入が決まったのは、白井の異動から約半年後。白井は各方面との橋渡し役を担っていた。
そうした努力が実り始めたと思った矢先に、降って湧いた納期問題。遅々として進まない生産ラインの現状を現地から上司に報告はしたが、もちろんそこで諦めることは許されない。「とにかく何とかしろ」。これが白井の報告に対する上司の回答だった。
白井は翌日からスーツを脱ぎ、Tシャツ姿で工場に通い始める。
「まず自分たちに落ち度はないと言い張る担当者を『それではビジネスを失うことになるぞ』と説得し、作業に向かわせるのが第一歩。そして私も『手伝えることは何でもする』と言って、現場に入りました。といっても、もちろん技術的、専門的な指導ができるわけではありません。ただ彼らと一緒に生産ラインで格闘しながら、自らすすんで事態を収拾しようと、ただそれだけでした」
もちろん彼の上司も、ただ電話で指示を下していただけではない。稲畑産業と現場との間に入っていたドイツのメーカーおよび工場の責任者らと素早く交渉し、金銭的な条件など解決に向けた環境を整えてくれていた。この後方支援があってこそ、現場で白井が流した汗も実りにつながっていくわけだ。
「結果的に納期に支障は生じたものの、どうにか初期段階でのゴタつきといった程度で事態を収拾できました。当初は3日間で帰る予定が、結局1週間の滞在になりましたけどね」
⇒〈その4〉へ続く