商社の仕事人(39)その4

2017年11月30日

第一実業 飯塚 誠

 

フロンティアスピリッツを胸に、

海外で活躍

 

 

ブラジルで待ち受けていた苦難

ブラジルは日本のちょうど真裏。成田空港を飛び立ち、アメリカ・ニューヨークを経由してサンパウロの空港に到着したとき、約30時間が経過していた。サンパウロの街に立ち、喧騒と熱風を肌で感じていると次第に胸が熱くなっていった。

「ブラジルで暮らし、働くという高校時代からの夢が叶ったわけですからね。ワクワクすると同時に、よーし、やってやるぞという気持ちでした」

サンパウロで飯塚に与えられた仕事は自動車関連や電子関連の機器を国内外のサプライヤーから仕入れて自動車メーカーに販売すること。はりきって業務に取り掛かった飯塚だったが、早々に外国で仕事をすることの難しさを思い知ることになる。

まず最初に直面した困難は言葉の壁だった。とはいっても単純な異国語でのコミュニケーションの問題ではない。ポルトガル語を習得していたので相手の発言内容はわかるのだが、なぜそれを言うのか、その理由が理解できなかった。他愛のない日常会話レベルでも飯塚の頭の中は「?」でいっぱいになった。

「言葉ってただ文法や単語を知っているだけじゃだめで、本当に彼らの生活のバックグランドや国民性をわかっていないと理解したことにはならないんですよね。それがわかるのに2、3年ほどかかりました」

また、ブラジルと日本では国の風習や文化、ものの考え方がまったく違う。大らかで細かいことは気にしないのが飯塚自身も気に入っていたブラジル人のよさでもあるのだが、ビジネスとなるとすべてが悪く作用した。ブラジル人と商談のアポを取って出向いても不在だったり、納期を守らないというトラブルは日常茶飯事だった。そのため、現地人とのやりとりは逐一メールに残す、少しでもわからないことは現地人にその場で聞くということを心がけた。

毎日さまざまなトラブルに見舞われたが、それでも嫌になったり腐ったりはしなかった。

「そもそもうまくいく仕事ってほとんどなくて、どんな案件でも必ず何かしらの問題が発生します。日本国内でもそうなのだから、外国での仕事は問題が起きて当たり前、問題が起きたら解決に向かって全力を投じるだけという考え方は名古屋支店時代に身についていたのでつらいとは思いませんでした。それに、当時入社3年目の若造をブラジルに赴任させてくれた会社にはとても感謝していましたし、それに対して貢献したいという気持ちも強かった。もちろん自分自身としても成長したいとも思っていたので、仕事をする上で大変なことは多かったのですが、モチベーションが下がることはなかったですね」

⇒〈その5〉へ続く

 


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