商社の仕事人(46)その1

2018年02月19日

阪和興業 村田勝彦

 

人が見過ごすところに

商機を見つけ、

世界を相手に実現させていく

 

【略歴】
村田勝彦(むらた・かつひこ)
1983年京都府生まれ。関西大学文学部卒業。2006年入社。

 

線材特殊鋼部門を希望した新入社員

2006年、阪和興業に入社した村田勝彦は、運よく最初の希望配属先であった線材特殊鋼部に配属された。

「すぐに海外に行ける食品部門や、盛んに輸出をしている海外営業部、また大手メーカーと取引する部門などが同期の間では人気がありました。しかし40人以上いた同期の新入社員のうち、線材特殊鋼というパッと聞いてもよく分からない、すごくニッチなことをやっている部署を志望したのは、たぶん私だけだったと思います。別に鉄という素材に興味があったわけではありません。

ではなぜ線材特殊鋼だったかといえば、たとえ1つひとつは小さくても自分の手で商売ができると感じたからです。家がやはり建築関係の商売をしていたことも影響していたかもしれません」

最初に配属された大阪本社の線材特殊鋼第2課に行くと、村田が予想した通りの商売をしていた。

担当したのは、線材を加工メーカーから仕入れて町工場に販売する仕事である。直径1、2ミリかそれ以下の線材が、ボルトやナット、クギ、結束線などの建築副資材になる。その川上のメーカーと川下のメーカーをつなぐのだ。仕入れのやり方を工夫し、販売先を開拓すれば、自分の手で利益を増やすことができるという立場だ。

仕入先も販売先も、オーナー企業が多く社長の鶴の一声ですべてが決まるような会社ばかりだった。

社長は、魅力的でもあり、またアクの強さも目立つ人々ばかり。東大阪や九条に、そんな町工場が集まっている。

「みなさん個性的だなと思いました。工場にクルマで同行したときに、車中2時間ずっと自慢話を聞かされたこともあります。しかも私の上司がまた個性的な人で、社長と話を始めるとまるでコテコテの大阪弁の掛け合い漫才を聞いているようでした。でも私もお客さんと話をするのは好きで、話しにくいとか居心地が悪いとか悩むようなことはありませんでした。最初のうちは相手が言うことをずっと聞いていて、時々質問するという感じでしたね」

その一方で新規営業もした。電話をかけても「また阪和さんか」「いらん、いらん」とすぐに切られるのが当たり前だったが、7月になって初めて新規顧客から受注が取れた。滋賀県の彦根にある会社で、大阪からはクルマで3時間近くかかる場所にあった。

「アポが取れたのはたまたま遠くて誰も行ってなかったのもあったかもしれませんね。その社長さんは、しっかり話を聞いてくれる方でした。大阪だとこちらの話をなかなか聞いてもらえないんですが(笑)。線材の供給が厳しくなった時期だったので、材料の供給元を増やしてはいかがですかと提案して、それに乗っていただけたのが成功の要因です。それ以来、今も取引が続いています」

いろんな意味でラッキーだったと村田は回想するが、3時間近くかけて会いに行かなければこの会社と阪和興業は今でも縁がなかったはずだ。普段は聞き役に回る村田だが、いざとなればすぐ行動に移す、そのフットワークのよさが、真の成功要因なのかもしれない。

⇒〈その2〉へ続く

 


関連するニュース

商社 2024年度版「好評発売中!!」

商社 2024年度版
インタビュー インターン

兼松

トラスコ中山

ユアサ商事

体験