ユアサ商事 川原 正
ゼロからの
海外市場開拓に挑む
最終日の夕方にぎりぎり間に合った
職人を現場に一度に送り込まなければ間に合わないので、ありとあらゆる人に頼みこんで1日何十人も動員した。これだけ呼ぶとコストもバカにならないが、そんなことは言っていられない。
工事が遅れると職人たちも早くしようとあせるので、必要な資材の個数を確認せずにバラバラに持ち出してしまう。するとどこで何をいくつ使ったかが分からず、翌日以降に必要なのはどれだけかが把握できない。その結果さらに現場が混乱するという悪循環になる。
それでも材料不足で工事を止めることだけは避けなければならない。フェンスを製造しているメーカーに泣きついて、代用品となるものがあれば倉庫中から探してもらった。ついにはまだ半製品の状態のままでもかまわず出荷してもらった。本来メーカーは嫌がって絶対にしないことだ。夜になると道に新聞紙を敷いて、自分たちでそれに色を塗り、翌朝には現場で取り付けた。塗る色が違っていたことが分かって、一度完成したものを解体して塗装をし直したこともあった。
「メーカーや社内の人には本当に色々な協力をしてもらいました。どんな仕事でも絶対一人ではできないと心の底から思いました」
そして最終日の午後5時に、工事は完了した。しかもどうにか赤字も出さずに済んだ。1か月前のことを考えれば奇蹟である。その時川原の体重は5キロ減っていた。
「この工事の問題は、段取りの悪さでした。今なら絶対にこんなミスはしません。何人で何日かけてこの作業を終えられるという読みを、きちんとしていませんでした。本来ものごとはすべて逆算して綿密にタイムスケジュールを立てなければいけません。私はもともと大雑把な人間でしたが、この後からは非常に緻密に計画を立てるようになりました。営業でも同じことで、予算達成のためにどう手を打っておくかをあらかじめ考えて、リストにして可視化しています。思い通りに進めて予算を達成したときは、本当に嬉しく思います」
その後も川原は、工事付き物件で何度も修羅場をくぐり抜けた。海外事業を担当する直前にもかなり大規模な外構工事を請け負ったが、その時の経験を活かし綿密な工程管理を行った。当然のように工事は工期内に終わり、収益も十分確保できた。
⇒〈その5〉へ続く