商社の仕事人(56)その1

2018年05月21日

阪和興業 山中淳一郎

 

まだ誰もしたことのない

ビジネスを求めて海外へ

 

 

【略歴】
山中淳一郎(やまなか・じゅんいちろう)
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学文学部英文学科卒。2003年阪和興業に入社。

 

先輩が入院し、非鉄金属の輸出を引き受けることに

英国で5歳から8歳まで生活した影響かどうかは分からないが、山中淳一郎は海外と関わりを持つ仕事をするために商社へ進む道を選んだ。阪和興業に入社すると、海外営業第1部の海外営業第3課に配属された。山中が担当したのは、アルミや銅など非鉄製品の輸出だった。

もちろん新入社員がすぐに業務をこなせるはずがない。阪和興業では先輩社員が指導員として半年間、メインで付いて教えることになっている。だが山中はこの恩恵に十分与ることができなかった。数か月後にその先輩が怪我をして入院してしまったのだ。入院中の人間にたびたび指示を仰ぐわけにはいかない。一気に山中一人の肩の上にさまざまな業務がのしかかってきた。

「鉄の輸出部隊の中で、指導員の先輩と私だけが非鉄の商材を扱っていました。社内でこの業務についての知識がある人間はほかに誰もいません。これまで作ってきた商売が途切れてしまってはいけない、とにかく品物を流さなければと一生懸命でした。これ、どういうモノですかと阪和の海外事務所やメーカーの人、場合によっては販売先にも聞いて教わりました」

販売するのは日本の伸銅(銅、銅合金を板や棒にすること)メーカーが製造した丸棒などの素材で、輸出先は中国や台湾、香港などアジアの企業だ。そこでパソコンなど電子製品の材料となって組み込まれる。品種が多様で覚えるのが大変だが、精密部品の一部でもあるのでわずかな傷や変形があるとクレームが来る。その度にメーカーの担当者とともに海外の工場に飛び、顧客から反っていると言わた棒を床に転がしたりしてみたりもした。大量の商材のうち、たまたま最初の数本が検査の目を逃れた不良品のこともある。自分が取り扱った商品がどれだけ厳しい目にさらされるか、そしてどのように最終製品に組み込まれていくかを目のあたりにしたことが、山中の商社マンとしての視野を広げてくれた。

入社2年目になると「品物を流す」だけならひと通りこなせるようになった。そして課内の新しいビジネスを作っていく新機軸チームに参加した。

環境規制が厳しくなる中で、山中はメーカーと一緒に有害金属である鉛を含まない素材を売り込みに回った。高品質の日本製品を使ってみようかという話も出てきて、ヨーロッパ向けのサンプル品ができた。

「私が入社した頃は商社不要論もありました。しかし輸出の経験がないメーカーには商社のノウハウが必要です。阪和興業の海外ネットワークの情報を日本のメーカーに伝えたり、御社の技術を利用してこういう商品を今から作りませんかという提案をしたり、パートナー探しも含めて、とにかくかゆいところを見つけてかいてあげる。そこは商社が担わなければと常々感じています」

こうして商売の種まきが進み、新機軸チームの活動が本格化しようとしていた2005年、入社3年目の春に山中は上司に呼び出された。まったく予想もしていない異動の話だった。

⇒〈その2〉へ続く

 


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