商社の仕事人(63)その4

2018年09月6日

CBC 小畑大輔

 

「無限の領域」を

「自由な発想」で冒険する!

 

 

〝想定外〟で心を掴め!

小畑が赴任したのは上海にある「希比希(上海)貿易有限公司」だった。海外駐在については「そろそろかな」と予想はしていたが、まさか出張経験のない上海だとは思いもしなかった。着任前の2、3か月、慌てて中国語を学びに学校に通ったものの、「あまり意味はなかった」。すべては現地で学ぶことになった。

当時、中国はまだ経済成長がゆるやかに加速を始めたところで、現地法人の取引先は小粒な現地企業ばかり。売上も伸び悩んでいたが、今日の世界第2位の経済大国となることを見込んで、CBCでは営業の強化を図りつつあった。その働き頭として、小畑に白羽の矢が立ったのである。小畑は現地スタッフの協力も得て、既存顧客との取引拡大と新規顧客の開拓を進めた。だがすぐに結果は出ない。拙い中国語しか話せない、20代半ばの小畑のことを、年長者を重んじる中国では誰も信用してくれなかったのだ。

「こんな若造では何もできないと思われていたのでしょう。そこで、相手がそう思っているのなら、その考えを逆手に取ってやろうと思いました」

小畑は小口の取引先の社長に対して、何食わぬ顔で、それまでではあり得ないほど破格の商品価格を提示したり、通常では考えられないレベルの手厚いサポートを約束したりした。そのあまりの好条件に、社長たちは度肝を抜かれた。若い営業社員ゆえ期待値が低かっただけに、「こいつは、とんでもない力を持っている」と想定外の魅力を感じたのだ。その結果、今度は一気に「小畑に頼めばなんとかしてくれる」と光学レンズを扱う業界では評判になった。さらに中国語の上達も相まって、現地スタッフを介すことなく直接小畑に電話をかけてくれる社長も増え、なかには娘の結婚式に招待する社長まで現れた。それはとりもなおさず相手の心をがっちりと掴み、厚い信頼を得た証だった。小畑は言う。

「好条件の提示については会社の協力もありましたが、時には〝エイヤッ〟と進めたこともあります。とにかくそれしか、若い私には武器がなかったのです。でも会社はそれを温かく見守ってくれました」

2008年の北京五輪、2010年の上海万博に向かって、当時の中国市場は急激に膨らんでいった。その〝成長曲線〟を小畑は上海で仕事をしながら肌で感じていた。

「いたるところにビジネスチャンスが転がっていて、何を見てもポテンシャルが感じられる現場でした。ですから、数多くのアイデアを試行錯誤しながら実践し、成功したり失敗したりの毎日でした」

そんな折、大きな商談が舞い込んできた。それは万博を控えた上海市政府向けの大型監視システム施工プロジェクトだった。エンドユーザーは上海市政府。お役所が固いのは国を選ばない。小畑は、エージェントを介して、繰り返し現地企業の責任者を食事に誘い、CBCの商品の高い性能について紹介し、互いの信頼を醸成しながら、慎重に、しかし確実にプロジェクトを進めていった。そして、万博開幕前までに見事、大量の光学カメラの納入に成功し、数億円の売上を達成したのである。通常、1つの案件の取引額が数百万円単位であることを考えれば、そのビジネスの大きさが容易に想像できる。

「これは上海のビジネスでは忘れられない成果です。中国では真偽が定かでない情報が飛び交いますが、その中で、これだと思った商談を掴み取り、ビッグビジネスに導くのは並大抵のことではありませんから」

この上海での成功を手土産に、万博の翌年・2011年4月に、小畑は次なるミッションが待つ、北京の現地法人へと異動することになる。

⇒〈その5〉へ続く

 


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