トラスコ中山 森﨑由美子
会社初の海外法人立ち上げに
奮闘した4年半
タイの大洪水でトラスコ中山の物流力が威力を発揮
物流サービスの体制が改善されると、取引先の数も増えて売上は着実に伸びていった。だがその仕組みを整えるために日本とのやりとりやタイ国内の配送業者との交渉などに忙殺されて、外回りの営業に出ることができず、森﨑は歯がゆい思いをしていた。そんな時、大きな転機が訪れた。
プロツールナカヤマを設立した翌年の7月下旬から11月まで大雨が続き、河川が氾濫した。タイ北部のチェンマイからバンコクまでの広い範囲にわたって浸水の被害が広がった。死者も数百名を数え、バンコクでも避難勧告が出るといった大規模災害になった。
日系企業が生産活動をしていた工業団地のいくつかも、浸水や部品の供給がストップしたために休業を余儀なくされた。工具類や設備品が不足して操業できない現場も多く、機械工具商に「なんとかならないか」という問い合わせが相次いだ。
「トラスコ中山がタイに進出してきたことは知られていたので、このときは機械工具商からの注文が殺到しました。私たちも夜遅くまで仕分けをするなど緊急対応し、日本にはすぐに送ってくれと依頼して、会社として利益を度外視して要望に応えました」
被害を受けた最終ユーザーのメーカーも小売の機械工具商も、現場をなんとかしたいと必死の思いだった。そしてまた森﨑たちプロツールナカヤマのスタッフもその思いに何とか応えたいとの一心。メーカー、機械工具商、トラスコ中山の気持ちは1つだった。
洪水という天災がきっかけではあったが、早期復旧や事業継続計画を構築する上で、トラスコ中山の供給インフラがいかに効果的であるかが、タイにおいても改めて示される結果になった。
ちょうどこの頃、社長の中山が日本からタイに視察に訪れていた。
「社長の中山は私が滞在していた間に何度か激励に来てくれました。後から聞いたのですが、この時は〝もうここまでにしようか〟という話をするつもりだったそうです。ところが実際に現地でクライアントを回ってみると、日本と同様にタイでも必要とされているし、まだまだやることもある。そこで撤退を切り出すのは止めたということでした」
森﨑はその話を聞いたとき、初めて自分たちがしてきたことが認められたと感じた。
⇒〈その4〉へ続く