トラスコ中山 森﨑由美子
会社初の海外法人立ち上げに
奮闘した4年半
ついに日本に帰国。タイ人のスタッフたちと別れを惜しむ
タイの現地法人の売上は2013年に対前年比でほぼ倍増し、3年目の決算で早くも黒字化を達成した。後からタイに進出した日系の会社から、こちらでもよろしくと声をかけられることも増えた。森﨑はその間色々な人にお世話になった。その中でも1社、現地資本の機械工具商があった。社長は、タイの経済界で影響力を持つ華僑である。
「タイの行政や法律、経済など分からないことはこの社長に聞いて、設立当初からいろいろと助けてもらいました。おかげで社名を変えることもできました。私の上司に、トラスコという名前も使えるはずだと教えてくれたのです。それならばと申請し直すと、今度はあっさりと許可が下りました。受け付ける担当によって対応が違うのかもしれませんが、前はあんなに苦労しても駄目だったのにと拍子抜けするぐらいでした」
こうして懸案だった社名の問題も解決し、2014年11月には「トラスコナカヤマ タイランド」に改称された。
その翌年の2015年4月、森﨑は沼津支店の支店長として日本に戻った。上司から内示を聞いたのは同じ年の1月だが、いつ転勤になってもおかしくないだけの年数は経っていたのでその前から覚悟はしていた。
「ここで立ち上げた仕事が順調に拡大し、売上もスタッフも増えたので、まだやりたいという気持ちが強く、帰りたいとは全然思いませんでした。しかし次にバトンタッチするのも仕事のうちなので、1年ぐらい前から日本人スタッフだけでなくタイ人でも仕事を回せるように、徐々に引き渡していました。ただ日系資本以外の地元の会社はほとんど開拓できなかったので、後任の人に託しました」
1か月前にタイ人スタッフにも帰国することを告げると、皆信じられないと言いながら泣き顔になった。最後の日は空港で別れを惜しんだ。日本に戻る飛行機の中で森﨑は涙が止まらなかった。
このとき、トラスコナカヤマ タイランドは日本人3名とタイ人10名の体制になり、十数社から始まった取引先は90社に増えていた。その後、2015年12月には事務所を移転し、広大な倉庫を新設した。現在、資本金は当初の5000万バーツから2億9000万バーツに増資し、さらに設備投資を積極的に続けている。
⇒〈その6〉へ続く