トラスコ中山 森﨑由美子
会社初の海外法人立ち上げに
奮闘した4年半
現地スタッフのマネジメントで上に立つ難しさを知る
タイに着任してしばらくは、森﨑は無我夢中で働いた。日本に帰るのも年に2回程度だった。だが幸い生活習慣の違いに戸惑うようなことはほとんどなく、オフタイムを快適に過ごすことができた。日本人が多いので、仕事と関係のない話を日本語で会話する機会もある。またタイ料理が口に合ったことも大きい。地元の人と一緒に屋台でもよく食事をした。
「タイでは仏教寺院に遊びに行ったりデートをするというぐらい、仏教が生活に溶け込んでいます。信仰心も厚く、僧侶は絶対的な地位を持っていて、女性は触れることができません。また子供の頭には魂が宿っているという理由で、なでるのはタブーです。こうしたことは事前に知ってから来ていたので、失敗することはありませんでした」
意外だったのは、女性の就業率が日本よりもはるかに高いことだ。子供を持っていても働くのは当たり前で、森﨑が訪問しても女性だからという理由で驚くタイ人はいなかった。
「日本では機械工具業界が男性中心だからかもしれませんが、日本人のお客さんから、海外進出するのに女の人がやって来たのかとたびたび言われました。私たちの事務所も現地スタッフは営業も含めて全員女性でした。ただ給与面についてはシビアで、1バーツでも高いとすぐ別の会社に移ります。半日で辞めた人もいれば、3年間働いてくれた人もいましたが、人の入れ代わりは多かったですね」
タイ人は基本的に楽しく仕事ができて給料がもらえればよく、仕事のやりがいといった感覚は通じないようだと森﨑は言う。愛社精神という言葉もない。上司の立場になること自体が初めてで、現地スタッフのマネジメントには苦労した。気を遣ったつもりがかえって相手を怒らせてしまったこともあった。
「何かあったら言ってねと毎日のように声をかけていたのですが、ふだんは温厚な性格の若い女性スタッフがある日突然激怒して、結局辞めてしまいました。後になって、ずっと監視されているようで苦痛だったのだと思い当たりました。日本だと、上司が自分の面倒を見てくれないことが不満で辞めることがあると聞いていたのですが、それが逆にストレスになっていたのです」
仕事は信頼して任せる。うまくいかなかったらそのときに直せばいいし、もし失敗しても上司である自分が責任を取ればいい。このことは森﨑にとって、その後タイでも日本でも通用する貴重な教訓となった。
⇒〈その5〉へ続く