ユアサ商事 大城勇一郎
建設機械レンタル会社に、
あらゆる商品を売り込む
地元最大手の会社との取引を復活させた
だがやり残していたことがあった。沖縄では業界トップでガリバー的な存在の建機レンタル会社と取引ができていなかったのだ。大手建設機械メーカーやライバル商社の資本が入っていることもあり、ユアサ商事とは長年付き合いが途絶えたままだった。
大城がこの取引の復活に力を注いだのは、主に沖縄にいた最後の1年間である。それまで業界の会合などで社長と同席することはあり、顔は互いに知っていた。だが大城はすぐには動かずに、売り込みをかけに行く時期を見計らっていた。
「その会社と当社が取引を始めると、ほかの建機レンタル会社にとってはユアサ商事が強大なライバルに機械を入れることになります。ガリバー的な1社と取引ができても、それと引き換えに多くの会社にそっぽを向かれてしまっては困るので、かなり気を遣いました。といってもほかの会社に隠して進めたわけではなく、あのトップの会社にも行きたいんですよねと正直に口に出していました」
そう聞かされていい顔をしていなかった社長たちも、3年、4年と付き合いが続くと大城の立場を配慮してくれるようになった。
「お前も商社にいて売上の予算を持っていたら、あそこに売らなければ確かにしんどいよな」
こう言ってもらえるようになったのは「自分に対して遠慮なく怒ってくれるような関係ができてからです」と大城は振り返る。
こうしていわば外堀を埋めたところで、初めて地域最大手の会社に「今度営業の話をしに行かせてください」と連絡を入れた。
だがショベルカーやブルドーザーといった主要な建設機械は売らなかった。
「主な建設機械は既存の仕入れのルートが確立しているので、社長、ユアサ商事は新しいものを提案しますと宣言しました」
ここに入り込むことができたのは大城にとっても大きな経験だった。新規製品で売上を大きく伸ばすのは今も得意技のひとつだ。
たとえばサンドブラストといって、ガードレールなど鉄製の構造物に砂を打ち付けて錆や汚れを取る機械がある。その会社は大城が紹介して初めてサンドブラストを導入した。
これが沖縄営業所での最後の仕上げの仕事となった。入社8年目の2015年4月、大城は東京に異動した。
⇒〈その4〉へ続く