商社の仕事人(66)その1

2018年10月15日

稲畑産業 栃尾裕輝

 

長い企業の歴史に

新たなDNAを

 

 

【略歴】
栃尾 裕輝(とちお・ひろき)
1982年、東京都出身。専修大学法学部卒。2006年入社。

 

不眠不休で取り組んだ「中国でのピューレ作り」

河北省辛集市、時計の表示は午前零時を過ぎている。

連日深夜まで作業が続いていたが、今日は作業が早く終わった方だ。栃尾は、ホテルに戻ると、既に冷めきった夕食を口にすることもなく、ベッドへ直行した。とその時である。シーンとした寝室に携帯電話の音が鳴り響いた。就寝モードに入っていた脳みそに、中国人パートナーの悲痛な声が飛び込んできた。

「とちおさん、大変よ!! 機械が止まった。このままでは製造ができないよ」

栃尾は、具体的な状況を確認することなく、すぐに応えた。

「わかった、リュウさん。すぐに行く。大丈夫だ!!」

栃尾は、帰宅した時と同じ姿で、部屋を飛び出して行った。こんな時に備えて確保したホテルは、工場から徒歩15分の距離。24時間稼働の現場に駆け込むと、いつもの機械音が途絶えて現地従業員らの中国語が響いていた。製造していた桃のピューレ原料が、機械トラブルで製造ラインに滞留していた。

対応マニュアルなどない。栃尾はまずトラブルの起こった時間を確認、原料の量を精査し、問題を起こした工程を特定。リスクも考えながら解決策を考え、その場で日本のお客さんと中国人パートナーと議論し、次々に対策を打っていく。生産工程の問題を1つつぶし終えた頃には、もう工場に高い日の光が差し込んでいた――。

「中国の工場でお客さんと一緒に桃のピューレを作ってこい」

栃尾が中国で奔走することになった発端は、入社2年目に突然下った海外出張の指令だ。中国での果物加工はすでに先輩が完成させて回っていたビジネスだったが、栃尾にとって生産現場は未体験の世界。そこで新たな製品を作るにあたり、現場のことを何も知らない栃尾がいきなり納入先の担当者と2人きりで中国・辛集市の工場へ送り出されたのだ。だが結果的にこの体験が、それまでくすぶっていた栃尾が商社の仕事に目覚める大きなきっかけとなる。

⇒〈その2〉へ続く

 


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