稲畑産業 栃尾裕輝
長い企業の歴史に
新たなDNAを
大学1年生の時に出会ったコーヒーチェーン
中国出張の6年前、2002年のある日。専修大学法学部の1年生だった栃尾が、都内のあるコーヒーチェーンの店舗でコーヒーを飲んでいた時のことだ。栃尾の近くに座っていた高齢の女性が、うっかりカップを倒してコーヒーを床にこぼしてしまった。
「お客様、大丈夫ですか?」
ここで普通なら衣類を気にしたり、けがの心配をして終わりだが、さらに新しいコーヒーを差し出す店員。ただ何気なく眺めていた栃尾のなかで、何かが閃いた。栃尾はその時とっさにこう感じた。
「これだ、これがやりたい」
当時から漠然と人や世の中の役に立つ仕事がしたいと思っていたが、ホスピタリティあふれるこのサービスを見て自分もチャレンジしたくなったのだ。
それまでにやったアルバイトは焼肉チェーン店。時給は破格だったが、栃尾の心を満たすものではなかった。栃尾はそれからすぐ渋谷の同じコーヒーチェーンでアルバイトの口を見つけ、働き出す。焼肉チェーンより時給はだいぶ下がったが、その差を上回って余りある収穫があった。ただの接客サービスだけでなく、長く勤めていく中でマネジメントの部分にも深く関わる機会を掴んだからだ。
「君の地元の福生で新しい店をオープンするんだが、ぜひ力を貸してほしい」
渋谷での2年近いアルバイトを経た大学3年の冬、栃尾は新店舗の店長からこんな言葉を受け取った。学生アルバイトのアイディアでも、内容が的確であれば店舗運営に採り入れる風通しのいい体質。そんななかで積極的に改善プランを提案していた栃尾は、福生店のマネジメントにも携わった。
業務のオペレーションとプロモーションを考え、実際のプログラムに落とし込んで形にしていく。いずれも定まったマニュアルはなく、どう運営するかは店舗次第。栃尾は学業のかたわら、マーケティングや他店のデータ分析を独力で学んでは実行していった。ここまでのめり込む栃尾もすごいが、有用な人材であれば、とことん任せるこのコーヒーチェーンの企業力も見事というほかはない。
「もっと成長できるステージ」を求めて稲畑産業へ
栃尾はこの期待に見事に応えていった。
栃尾の奮闘の甲斐もあって好調な成績が続くコーヒーチェーン福生店。やがて大学4年を迎えて就職という岐路に立った栃尾には、そのままこのコーヒーチェーンに就職する選択肢もあった。だが栃尾はそこからさらに1歩進んだ可能性を追求する。
〝新卒としていろんな企業を見てチャレンジできるのは、人生のうちで今だけだ。もっと成長できるステージに自分を置いていけば、大好きなこのコーヒーチェーンともまた違った立場でビジネスができるかも知れない〟
そんな気概でメーカーからブライダルまで、思いつくあらゆる業界を見て回った栃尾。やがて志望先が商社に絞り込まれていくなかで稲畑産業と出会う。だが最初はいい印象が持てなかった。
「説明会があまりにもざっくばらんなので、大丈夫かこの会社はと不安になったんです(笑)。ただそのインパクト、またすごく人間臭い部分が記憶に強く残ったので、面接まで受けてみようと。ところが当時は二次面接で各本部の本部長クラスが全員、計十数名が出てくることになっていました。それでまた『噂に聞く圧迫面接に違いない』とビビッたりしていたんです」
だがその二次面接もふたを開けると、やはりざっくばらんな会話形式。リラックスしたムードのなか存分に将来の抱負を語ることができた栃尾は、稲畑産業の人間味あふれる魅力に引き込まれていった。
こうして入社後に配属されたのは、食品本部(当時)。「合成樹脂」「情報電子」分野の専門商社として知られる稲畑産業にあって、決して主流ではない分野だ。だがコーヒーチェーンでの経験から食品業界を志望していた栃尾の意思が認められた形だった。
⇒〈その3〉へ続く