商社の仕事人(35)その1

2017年10月2日

JFE商事 高沢健史

 

互いに幸福を感じる

ビジネスを目指して

 

 

【略歴】
1982年、兵庫県芦屋市生まれ。関西学院大学総合政策学部卒。2006年、JFE商事入社。現在、鉄鋼貿易本部薄板貿易部冷延表面処理鋼板貿易室に所属。

 

未開の大国ミャンマーへ

その日、シンガポールからの直行便でミャンマーに入った高沢は、空港から19キロ南にあるミャンマー最大の都市ヤンゴンへと向かっていた。かつての首都であり、今も410万人が暮らす商都ヤンゴンでは、日本製のタクシーやバスなどの中古車が日本語表記もそのままに路上を行き交っている。中心街のホテルへ向かう道すがら、そんなどこか親しみのある景色を眺めながら、高沢は思った。

「この国は成長する。成長して、もっと鉄が必要になる」

 

ミャンマー――。

日本の1.8倍の国土に約5000万の人口が暮らす、このインドシナ半島西部の大国は、2010年の総選挙実施により民主化が進み、2012年に入ってアメリカがその民主化政策を評価。現在、日本をはじめ、欧米各国の企業がこぞって進出を加速させている国である。しかし、高沢がこの熱帯の国を訪れたのは、いまだ軍事政権下だった2009年のこと。米国の顔色を伺う日本企業は進出に二の足を踏んでいた。そんなミャンマーへと高沢を駆り立てたのは「リーマンショック」だった。

2008年9月15日の月曜日、アメリカのサブプライム住宅ローン問題に端を発した多額の不良債権により、投資銀行リーマン・ブラザーズが約64兆円という史上最大の負債総額で破綻。この空前の破産劇から始まった世界同時不況が「リーマンショック」である。日経平均株価も大暴落し、およそ1か月半で1万2000円から6000円へと下落。JFE商事のシンガポールにある鋼材加工センターに出向していた高沢は、この世界同時不況のすさまじさを身をもって知ることになった。

「それ以前はたいへん好調で、正直なところ、何もしなくても売れていくといった状態でした。ですから、これからの値上がりも見込んで大量に在庫を抱え込んでいました。ところが、そこに来たのがリーマンショック。その翌月の売り上げは、なんと前月比6割減です」

だが、売り上げが立たないのを不況のせいにしてはいられない。たとえ世界恐慌の渦中であったとしても、利益を生んでみせるのが〝商社マン〟という人種である。高沢もその例外ではなかった。それまでシンガポール国内の日系企業を中心に行ってきたビジネスを根本から見直し、東南アジアはもとより、インド、バングラデシュ、パキスタン、中東など、アジア全域をターゲットに、地場メーカーへと営業をかけ始めたのだ。そして、そのターゲットの1つがJFE商事にとって未開の大国ミャンマーだった。

 

ヤンゴン中心街のホテルにチェックインした高沢は、すぐさま電話帳を探した。それまでの経験から、高沢はどの国にも職業別電話帳、いわゆるイエローページがあることを知っていた。そして、それが飛び込み営業に必要不可欠であるということも。英語版のイエローページを見つけた高沢は、電機、鉄鋼といった職種を開き、しらみ潰しに電話をかけ始めた。

「ハロー、ハロー…」

こうしてミャンマーでの高沢の戦いは始まった。

⇒〈その2〉へ続く

 


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