JFE商事 高沢健史
互いに幸福を感じる
ビジネスを目指して
初めてのクレーム処理
希望どおり、海外勤務のある貿易部隊に配属された高沢だったが、電機鋼材部門は最も忙しい部署として有名だった。実際、4月末の配属からわずか1週間で、過労のため高沢は入院することになった。
「学生気分が一気に吹き飛びました。深夜の会議も苦にしない社会人って、やはりすごいです」
復帰してからの高沢は、来る日も来る日も、契約書、成約票、船積みの書類、会議用の資料作りに忙殺された。時折、研修や工場見学、先輩社員に同行しての顧客訪問などもあったが、基本的にはデスクワーク。貿易実務は経験として身についたが、商材である鉄を目にすることはほとんどなかった。
「鉄のこの品種、1000トンと言われても、どんなものがどれくらいというのは一切わかりませんでした」
日々、淡々と書類作りに励む高沢だったが、時にはあまりに細かな作業の連続にうんざりすることもあった。そんな時、ある先輩社員から飲みに誘われた。そして高沢の心を見透かすように、こう言ったという。
「今はおもしろくないかもしれない。でも、その書類を書き続けることがこれから必ず生きてくる。正確に忠実に書類を作ることができなければ、貿易は成り立たないんだから」
こうして周囲の社員たちに励まされつつ、入社1年が過ぎようとしていたある日のこと、高沢はマレーシアでのクレーム処理を任されることになった。クレーム内容は、納品した鉄がさびついているというもの。高沢は、さっそくマレーシアの首都クアラルンプールにあるプレス業者のもとを訪ねた。プレス業者は高沢の顔を見るや、ただひと言だけ口にした。
「はい、1万ドルね」
作業がストップした間の人件費、機械をリカバリーする費用、生産ラインがストップした費用など、すべてのコストが入っていた。
「困ったなあと思いました。マレーシアまで飛んできて、1銭の値下げ交渉もできないわけですから」
結局、損害の多くは納入したメーカーに支払ってもらい、JFE商事も少しだけ負担することになった。悔しい思いをした高沢ではあったが、この初めてのクレーム処理で学ぶことも数多くあった。
「今でしたら損害金は払うが以後の納品量を増やしてもらうとか、損害金を払わずに以後の納品から料金を少しずつディスカウントするなどの交渉ができますが、まだそういう駆け引きも知りませんでした」
また、交渉前に社内でのコンセンサスも得ておく必要を痛感したという。
「マレーシアに行く前に、どこまで値引きをしていいのかと上司に聞いておくべきでした。交渉ごとを進めるときには担当者に裁量権がないのはNG。何か提案されるたびに、持ち帰って確認しますでは通じません。なにしろ海外では、ほとんど社長が出てくるわけですから」
地道な貿易実務やクレーム処理など、商社マンとしての経験を積み重ねてきた高沢。入社2年目を終えようとしていた3月下旬、そんな高沢に辞令が発せられた。それはシンガポール赴任の辞令だった。
⇒〈その5〉へ続く