商社の仕事人(35)その2

2017年10月3日

JFE商事 高沢健史

 

互いに幸福を感じる

ビジネスを目指して

 

 

〝社会〟を学んだ2つの活動

世界の人々をみんな幸せにしたいという夢を持っていた高沢は、NGOの活動に興味を持っていた。そこで大学生となった高沢は学内のボランティアサークルに入り、フィリピンの貧しい人たちのために家を建てる活動を始めた。寄付や協賛金集め、街頭募金、バザーや写真展などの先頭に立ち、資金を集めたのだ。フィリピンでは家1軒をおよそ20万円で建てることができる。高沢たちサークルの仲間は集めた資金を持ってフィリピン・セブ島の近くネグロス島の小さな村に2週間泊まり込み、2軒の家の建築を手伝ったという。

「ゴミと共存しているような環境で確かに貧しい、でも心は貧しくない。みんな明るいんです。家が出来上がったときは、みんなでお祝いしました。本当に幸せそうな顔をしていました」

こうしたボランティア活動のほかに、高沢は日米学生会議にも参加している。日米学生会議とは、1934年に発足した日本初の国際的な学生交流団体。「世界の平和は太平洋にあり、太平洋の平和は日米間の平和にある。その一翼を学生も担うべきである」という理念の下、日米から集まった学生が約1か月にわたって共同生活を送りながら様々な議論や活動を行い、日米両国の参加者間の相互理解を深めていく。そして参加者たちが会議で得た成果を長期的に社会的貢献、社会還元していくというものである。

高沢は大学3年時に実行委員としてこの会議に参加した。毎年、日米交互に開催されるこの会議は、高沢が実行委員となった年は日本開催となっていた。開催地としてあがったのは沖縄。基地問題がある沖縄は、恰好の開催地と思えた。しかし、アメリカの学生たちからは異論が出た。

「基地はアメリカにいくらでもある。いまさら見ても仕方ない。京都で寺が見たい。そういう意見でした。でも、アメリカ国内と国外の基地では、状況はまったく違う、それを見ないといけない、と訴えたのです」

日米の学生たちからさまざまな意見が出る中で、高沢はまとめ役に徹し、開催地は沖縄に決まった。

「私も言いたいことは山ほどありましたが、コーディネーターとして、みんなの意見を受け入れ、整理し、みんなを同じ方向に向けて前進させました。こういう進め方を経験できたのは良かったと思います」

また、フィリピンに家を建てたボランティアサークルと同様に、日米学生会議でも運営資金の調達という問題があった。多くの企業を回り、資金協力を依頼したが、二つ返事で援助、協賛してくれる企業はなかった。常に「社会にどんなインパクトがある?」「うちの会社にどんなメリットがある?」との質問をされた。しかし、逆にこうした社会人と触れ合い、意見を聞けたことが高沢の目を大きく開かせた。

「学生だけでは〝内向き〟になりがちです。こんなにいいことをやっているのに、協力しない企業のほうがおかしい、と。でも、社会はシビア。これは学校の勉強だけでは学ぶことはできません」

こうして日米学生会議を成功裏に終えた高沢は、大学4年を目前にアメリカ・シアトルの大学への留学を決める。ディスカッションをリードできる高度な英語力を身につけるため、そして、アメリカのNGOでのインターンシップを経験するためだった。

⇒〈その3〉へ続く

 


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