商社の仕事人(35)その3

2017年10月4日

JFE商事 高沢健史

 

互いに幸福を感じる

ビジネスを目指して

 

 

気持ちだけでは、何もできない

アメリカ留学中の高沢は、午前中は学業に専念し、午後はNGO団体でインターンシップとして働いた。5つのNGO団体で働いたが、その1つのNGOでは、マイクロファイナンスを行っていた。アメリカの企業からお金を集め、中南米の人や企業に小口融資するというものだった。高沢は考えた。「日系企業からお金を集めるのか…」と。しかし、日本で経験したボランティア活動や学生会議と同じように、日系企業から融資を引き出すのはかなりきびしいものだった。

「NGOとはいえ、ビジネスセンスやマーケティング、プレゼンテーションのスキルが必要。やりたいという気持ちだけでは、結果を出すことはできません。幸せにすることなんてできないんです。私はこのNGOでは、何もできなかったと思います」

そんな思いを抱いた高沢がアメリカ留学から帰国したのは、2005年の3月のことだった。すでに就職活動は最終盤を迎えていた。

「それまではNGOで働きたいと思っていましたが、なんら実務経験がない。やはり一旦企業で働いて自分自身が成長しないといけないと思いました」

就職について真剣に取り組み始めた高沢は、人と関われる仕事、自分で何かを作り上げる仕事をしたいと考え、金融や人材派遣とともに商社業界に目を向けた。そして、セミナーに参加するために東京を訪れたときのことだ。八重洲界隈を歩いていて、ふと目に飛び込んできたのが、「JFE商事」の文字だった。

「商事というからには商社なのかな…」

そう思った高沢は神戸に戻り、JFE商事について調べた。鉄を扱う商社で、大阪にも本社があることがわかった。すでに二次募集が始まっていたので、高沢はインターネットから応募した。あとはとんとん拍子だった。面接官から商材である鉄についていろいろな話を聞いた。同じ学部のOBも紹介してもらい、仕事の内容を尋ねた。ドレッドヘアのやや変わった風貌の先輩だったが、話を聞いたらそれがまた面白い。生き生きと楽しげに仕事をしていた。また、商材である鉄についても、関連する事業まで入れると、とてつもなくすそ野が広いことがわかった。海外勤務があるのも魅力だった。高沢の心は、内定が出る前からすでに決まっていた。そして2006年、高沢はJFE商事に入社。電機鋼材貿易部に配属されることになった。

⇒〈その4〉へ続く

 


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