商社の歴史(1)

2017年01月31日

「商社」の歴史は「近代日本経済」の歴史

みんなの商社

◆総合商社の誕生

江戸時代から呉服商・両替商として事業活動を行っていた三井家が、旧三井物産の前身である。明治9年に旧三井物産を設立し、三池炭鉱の石炭の一手販売、米や石炭、生糸や綿糸の輸出入を通し、他者の追随を許さない総合商社に発展、事業規模を拡大していった。大正初めには、日本の輸出高の4割を占めるようになり、最大の貿易商社となった。

一方、三菱商事の源流は、土佐藩・岩崎弥太郎によって明治3年に設立された、九十九商会である。その後、何度かの組織変更・社名変更を経て、明治27年に三菱合資会社営業部が設けられ、その中の売炭部が明治29年に独立したのが、今日の三菱商事の直接的な前身である。筑豊炭田の石炭輸出を主要業務とし、日本の開国に伴う殖産興業政策の牽引者となって大きく発展した。

明治期の貿易商社は、明治政府の政策的なテコ入れもあり、いずれも財閥系列のこの2社によって代表される。もうひとつの財閥系商社である住友商事は、住友財閥としての事業の歴史は三井・三菱に劣らず古いが、元来、商事部門には手を出さないという不文律があったために、住友商事としての歴史は戦後スタートする。

以上が財閥系商社であるのに対して、他社はいずれも関西系の商社である。これらの中でも、伊藤忠商事・丸紅・トーメン(現・豊田通商)・ニチメン(現・双日)・兼松の5社は繊維系の総合商社であり、日商岩井(現・双日)のみが鉄鋼系の総合商社である。

日商岩井は昭和43年に、日商と岩井産業が合併して生まれたが、どちらも歴史は古い。日商の前身は鈴木商店で、一時は非財閥系商社の雄として三井・三菱とわたりあうほどだったが、昭和初期の金融恐慌の中で挫折した。

近江の麻布持ち帰り業から出発した伊藤忠商事。綿花輸入会社として明治時代に設立されたニチメン。三井物産綿花部から大正9年に独立したトーメン。伊藤忠商事と一卵性双生児といわれるように、伊藤忠兵衛によって安政年間に設立され、後に「紅忠」という繊維商社として発展した丸紅。そして明治中期に神戸で開業した繊維貿易商社の兼松と、綿花輸入商社の江商が昭和42年に合併してできた兼松江商(平成2年1月、商号を兼松に変更)。以上はいずれも繊維取引を源流とする総合商社であるが、関西商人の特質をいかんなく発揮し、時流の中で商材の拡大に積極的に対応し、また分離合併を繰り返しながら拡大発展してきた(平成16年、ニチメンと日商岩井は合併し、双日に。平成18年、トーメンは豊田通商と合併)。

⇒〈2〉へ続く

 


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