「商社」の歴史は「近代日本経済」の歴史
みんなの商社
◆躍進・敗戦・財閥解体
明治28年の日清戦争の講和成立は、総合商社の発展に大きな役割を果たした。多額の賠償金を手に入れた日本は、工業をはじめとする産業の興隆を招くとともに、戦勝気分の中での船舶不足が造船奨励法を公布させるなど、鉄鋼需要を作り出した。
鈴木商店は、イギリスの鉄を買い込んで国内の製鉄メーカーに売り込むことで大きな利益を得るとともに、大量の貨物船を入手して当時としては画期的な三国間貿易に携わり、膨大な利益を上げた。しかし、第一次世界大戦後の不況に対する対応を誤った結果、昭和2年には破綻してしまい、事業のほとんどが三井・三菱の手に移った。以後、第二次世界大戦まで、三井・三菱の独占体制が築かれることになった。
鈴木商店の興隆と倒産の歴史とは対照的に、三井物産は第一次世界大戦の終結にともなう世界経済の縮小を見越し、経営の合理化をはかった。その一環として、相場変動の激しい綿花商売を切り離す形で、綿花を独立させ東洋綿花を設立した。これがトーメン(後に豊田通商と合併)の出発である。
第二次世界大戦が始まると、国家総動員法の成立など、戦時国家独占資本主義体制が確立し、各商社は戦争に協力し、軍事物資の輸送、占領地での事業展開に従事することになった。このことが、敗戦後、占領軍(GHQ)による日本経済の民主化の先鞭として注目される結果となった。
昭和20年11月、GHQは財閥解体の覚え書きを発表し、さらに昭和22年7月3日に商事会社の解体に関する覚書(三井物産・三菱商事の即時かつ徹底的な解散を指令)を発表。11月30日、両社が解散する。
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