「商社」の歴史は「近代日本経済」の歴史
みんなの商社
◆再編・高度成長
昭和27年5月、財閥商号使用禁止等に関する政令が廃止されたことにともない、戦後分裂していた各社が合同を始め、昭和29年7月に三菱商事の商号が復活し、三井物産も昭和34年2月に商号が復活した。
戦後に商事部門への進出をはかった住友は、昭和20年に連携各社の製品を取り扱うことを主力として、日本建設産業を設立し、昭和27年に住友商事と改称した。
一方で、財閥系商社の解体を機に、関西系の商社は戦後貿易の中心として、一時的に業績を拡大させていった。特に朝鮮戦争の発生による特需は、飛躍を招いたが、それも瞬間的で、むしろその反動に対して対応力を持たなかったところは、痛手をこうむることとなった。
昭和35年、岸内閣のあとを受けて出発した池田内閣の「所得倍増論」のもと、日本社会は未曾有の高度成長の時代へと突入していった。
高度成長にともなう産業資本の発達は、各企業の販売部門の強化を引き起こし、ひいてはそれが問屋業務の排除、つまり商社の衰退につながる、という予測(商社斜陽論)もあったが、事態は全く違った展開を示した。
メーカーが生産設備の拡充に注力しているとき、総合商社は積極的に海外駐在員を派遣して、原材料の確保と市場開拓を強力に押し進めた。同時に国内の生産技術の急速な進歩を背景に、産業ソフトの世界的な展開もはかり、地球規模のマーケット育成をなし遂げた。
⇒〈4〉へ続く