商社の仕事人(57)その1

2018年05月28日

三谷商事 阿部俊朗

 

35歳でM&A担当部長に就任。

「本社を超える子会社」を

海外に求める

 

【略歴】
阿部俊朗(あべ・としろう)
1975年福井県生まれ。早稲田大学人間科学部卒。1999年三谷商事入社。

 

自分を認めてくれた

建設資材、エネルギー、ITを主力に、特にセメント、コンクリート販売では日本最大のシェアを誇る総合商社、三谷商事。まもなく創業100年を迎えるこの老舗企業で、35歳の若さで事業開発部長に任じられた阿部俊朗には、3歳違いの兄がいる。京都大学アメフト部の伝説的ラインバッカーとして、アメフト日本一を決める「ライスボウル」で優勝しMVPを獲得、その後海外に渡り、日本人初のプロアメフト選手として「NFLヨーロッパ」でもプレーした、阿部拓朗その人である。

その兄は、高校までバスケットボールの選手だった。幼い頃から兄の同級生たちに混じって遊んでいた阿部もバスケに取り組み、高校時代にはエースとしてインターハイ出場を果たす。

「当時からインターハイ上位入賞常連のH高校というバスケの超強豪校があって、県大会では毎年他校を圧倒していました。そこを下してのインターハイ出場でした。大会終了後に全日本ジュニアに選出されました。のちに、兄がアメフトでMVPをとるのですが、そのとき、兄がこう言うんです、『やっとお前を超えられたな』と。私は本当に驚きました。兄には逆に私が目標となっていたんです。兄・弟とは別に意識していませんでしたが、認めてくれていたことはうれしかったですね」

進学した早大バスケット部でも全日本を狙えるだけの実力を認められていたが、不幸にも2年時に大怪我を負い、選手としては再起不能になってしてしまう。だが、その後得たものは大きかった。怪我の後、コーチとして対戦相手の情報収集や分析をした経験が、阿部にプロジェクトを動かす楽しさを教えたのだ。

「ある日の試合では監督が不在だったため、私が自分自身で戦術を考えなければいけませんでした。それが見事にはまって、強豪の某大学に完勝したんです。あの成功体験は忘れられないですね」

⇒〈その2〉へ続く

 


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