三谷商事 阿部俊朗
35歳でM&A担当部長に就任。
「本社を超える子会社」を
海外に求める
初めての挫折
入社後の仕事の面白さは予想以上だったという阿部だが、新人時代に辛い経験はなかったのか、と尋ねると、「正直あまり感じませんでしたね」と語る。
「もちろん、帰宅は最初の頃は、いつも終電近くだったりしましたけど、ほかの人の仕事を手伝えばその分自分の勉強になる、というのはわかっていましたし、早く帰れるように頑張っているうちに、自分自身が仕事を覚えている実感を持つこともできた。それに高校、大学を通じて、体育会系の極みたいな環境で数々の修羅場を経験していたので、それに比べればどうということはありませんでした」
とはいえ入社3年目には、今でも忘れられない苦い思いも経験している。三谷商事にとって最大のユーザーであると同時に、重要な仕入先でもあるあるメーカーの担当を任されたのだが、当時の阿部はこの大抜擢に応えることができなかった。
失敗の原因は人間関係だった。取引先での窓口である専務に最初に挨拶した時、「ソリが合わない相手だと直感しました」と、阿部は語る。これまでやってきたとおり積極的にアピールする阿部に対して、専務は「ガツガツした入社3年目の若造」という印象しか持ってくれなかった。
その後、半年にわたり粘ったものの、最初のボタンの掛け違いは最後まで直すことができず、専務から会社に掛かってきた。「あの担当替えてくれ」という電話で阿部は担当を外された。入社以来飛ぶ鳥を落とす勢いだった阿部にとって初めての挫折だった。
しかし阿部はこの失敗を、自分の営業手法を見直す機会と捉えることにした。
「入社以来の私は、一見連戦連勝ではあったんですが、思い返してみると、細かい部分では必ずしも連戦連勝というわけではなかった。とりあえず営業をかけてみて、『この会社とは合わないな』と思ったら素早く見切りをつけ、次のターゲットに全力を注ぐ、そういう判断の速さで勝っていた面が多分にあったのです。しかしこれは売り込める先がたくさんあったからこそできる営業であり、どんなお客さんにも気にいってもらえる、そういうスタイルの営業ではありませんでした」
状況によっては相手に合わせた営業もしなくてはいけない。ここでの挫折は、そうした教訓を阿部に与えてくれたのである。
⇒〈その5〉へ続く