商社の仕事人(68)その3

2018年11月14日

阪和興業 井川慎一

 

世界でwin-winを語る

コテコテ商売人

 

 

商売のいろは

2009年10月からの5年半は、条鋼建材第2部建材第1課という仕入メインの国内部隊に在籍した。

「阪和興業の中でも、大阪色の強い部隊。国際的なビジネスをすると思っていましたが、まさかのコテコテの国内営業です」

こう井川が紹介するように、同じ大阪でも貿易とは職場の雰囲気がまるで違う。電話の洪水にメールを打つ暇もなく、これまでとは打って変わって騒がしかった。

仕入先は国内の鉄鋼メーカーで、販売先はほとんどが鋼材の加工業者、特約店などの中小企業だ。担当したのはH形鋼や山形鋼と呼ばれる主に建築に使われる鋼材で、業界では形鋼と呼ばれる。

異動後の3年程度は、営業といっても客先を訪れるよりは、鉄鋼メーカーなど仕入先と商談をするケースがはるかに多い仕入担当の業務だった。他の国内拠点とも連携を取りながら、価格動向の確認や在庫管理などを行うのだが、国内で圧倒的なシェアを持つ部署だったため、1か月の購入量は数億円以上になった。東京、名古屋、広島、九州にも出張したり、東名阪の仕入担当者とも毎月会議をして状況を確認し万全を期したが、一鋼種だけでも月に何千トンの取引になる。故に、わずかな価格の差も大きな損失に繋がる恐れがあって気が抜けなかった。それだけではない。シェアの高さはマーケットへの影響力、自分の仕事が新聞紙面の数字を変える事すらある。業界全体が注目するのは『阪和の仕入』。それが誰でもどんな若造でも、その視線に容赦はなかった。

そんな日々に転機が訪れたのは入社5年目頃。仕入先との交渉に加えて、販売先の社長と会う回数が増えたのだ。貿易の書類を作っていたときも、国内で仕入に必死だったときも、売ることの大変さが分かっていなかったと井川は初めて気がついた。

「この頃から40代から60代といった、父親世代の社長を相手にするようになりました。カマをかけられたり、真に受けてはいけないことを言われたり、商売に駆け引きは当たり前です。最初の頃は、この駆け引きを見抜けず失敗してばかりでした」

だがコテコテの鉄の営業にもしだいに慣れてきた。

「営業を始めた当初は厳しかったお客様でも、信頼をしてくれると一気に距離が縮まります。信頼を得るためにすべきことは何か、自分の出来得ること全てを尽くし、がむしゃらに頑張っていたように思います」

⇒〈その4〉へ続く

 


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