商社の仕事人(20)その2

2017年05月23日

CBC 野澤大地

 

研ぎ澄まされた〝嗅覚〟で、

未来のビジネスを切り拓け!

 

 

「生産力」を備え、「新規開発」できる商社へ

振り返ってみると、野澤がCBCに入社したのは必然だった。

研究のスペシャリストになるよりも〝ものづくり〟や経営管理のノウハウを持った技術者になり、社会に貢献したいという夢を抱いていた野澤は、生産工学部に進学。学生時代、製造工場のマネジメントなどを学ぶとともに、中国・上海に語学留学する。その後、大連から香港までの中国沿岸部をバックパッカーのように旅しながら、留学時代の友人や現地で知り合った商社マンのツテを頼って、現地企業や日系企業の工場など、〝ものづくり〟の現場を見学したという。

「1999年当時、中国は〝世界の製造工場〟を自認していました。ですから、たいへん興味があって見せてもらったのですが、その実情は驚くべきものでした。日本でも曾孫請けにあたる下請け工場を見ことがあり、かなり杜撰だなと思いましたが、中国の現場は、製造・管理共に全てが異なる。賃金が安いからいいようなものの、最終工程はすべて人海戦術による手作業でしたし、作業員たちも自らを守り製品を傷つけないために着用不可欠なユニフォームを、暑いからという理由であっさり脱ぎ捨ててしまうわけです。生産管理の大切さを身にしみて感じました」

溢れるほどの好奇心で中国を見て回った野澤は、就職活動当初、自分が大学で学んだことを中国の工場で活かすために現地採用の求人探しを行った。だが、野澤は次第にその考えを変えていく。

「今、自分が中国で働くのも悪くはない。経済発展することは分かっているし、学ぶことも多い。しかし、日本でしっかりと実績と経験を積んでからでも遅くはないのではないか…」

帰国後、日本での就職活動を始めた野澤は、すでに志望企業を数社に絞っていた。当時、メーカーを買収する商社が多く、野澤は製造業が商社と一体化することで新しい何かを生み出せるのではないかと考えていたのだが、〝商社はマネジメントするだけで製造は子会社に丸投げ〟というやり方は野澤にとって満足できるものではなかった。自前の生産力を備えた、地に足の着いた商社を野澤は志望していたのである。そこで出会ったのがCBCだった。

「CBCは海外に拠点と工場を持っていたので、僕の心をとても揺さぶりました。しかも、商材やジャンルに多彩なバリエーションがあり、これから何か新しいものを創っていくんだという情熱も感じました。入社5、6年目の若手社員にも会いましたが、新規開発案件にも若いうちから携われるということで、皆さんイキイキとしていて、とても魅力的でした」

面接でも、野澤は自分がなりたい商社パーソン像や商社の仕事に対するモチベーションの高さを率直に述べた。面接官も野澤の中国縦断という行動力や工学知識に限りない将来性を見出した。そして野澤はCBCから内定を得る。内定通知が届いた時点で野澤はすべての就職活動を終えた。それは野澤自身、満足な就職活動だったことを意味する。ただ、非上場という点については若干気になっていたのも事実だった。

「上場していなくても資金調達さえできれば問題はないと思っていました。知名度がないのは残念ですが、うちは一般消費者向けの商品を作っていません。業界内で知名度が高ければいいと思って納得しました。その点で言えば、CBCは申し分ありませんでしたから」

こうしてCBCパーソン・野澤大地が誕生したのである。

⇒〈その3〉へ続く

 


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