CBC 野澤大地
研ぎ澄まされた〝嗅覚〟で、
未来のビジネスを切り拓け!
自分のキャリアには必要なのは…
初めての海外出張でTOEICのスコアを超越した〝英会話力〟を発揮した野澤ではあったが、いつまでも〝筆談〟しているわけにもいかない。出張からもどった野澤は、すぐさま英語力向上を目指して勉強を始めた。もともと中国語学習で語学のセンスを磨いていた野澤の上達は早く、TOEICのスコアもあっと言う間に入社時の3倍を超え、入社5年目が終わるころにはニューヨーク支店で実施される3か月間の海外研修に参加できるほどの実力を備えるようになった。
そして2008年8月、28歳になったばかりの野澤に初めて海外駐在が打診された。赴任先は経済成長著しいインドのムンバイ。だが、海外志向の強かったはずの野澤は返事を保留した。なぜなら、そのころ、野澤の心はアジアから欧米へと傾いていたからである。野澤は一晩まんじりともせず考えた。
果たしてムンバイに行くべきかどうか――。
翌日、出社するやいなや野澤は上司にこう伝えた。
「ムンバイ駐在の件、ありがたく引き受けさせていただきます」
このときの心境を野澤は次のように語る。
「僕は帰国後のキャリアのことを考えたんです。出世としてのキャリアではなく、自分の成長という意味でのキャリアです。ニューヨーク支店の研修に行ったこともあり、欧米の現地法人での仕事の仕方は想像できましたので、駐在するなら欧米がいいと思っていたのですが、自分のキャリアについて、よくよく考えてみると、ムンバイのような未知の世界に飛び込んで、仕事も会社もゼロから立ち上げたほうが実力はつくなと思ったんです」
こうして野澤は11月1日付けで現地法人CBCムンバイに赴任する。現地法人における人員はナショナルスタッフ5人に、日本人は野澤1人だけ。そのほか関連企業にもナショナルスタッフが数人いる。ムンバイで野澤に課せられたミッションは現地法人の経営が成り立つように、新たなビジネスを探し出し、収益の軸として育て上げることだった。
どんなビジネスがインドに向いているのか――。
野澤は考えを巡らせた。そして設立間もない現地法人として、まず野澤が取り組んだのは、開発期間の短いジェネリック医薬品の日本への輸出だった。医薬品は野澤が所属していた部署の取り扱い製品でもあり、野澤にも知識や経験がある。また、インドは「世界の製薬工場」と呼ばれ、製薬メーカーがひしめき合っていたのだ。野澤はナショナルスタッフとともに、パートナーとなる製薬メーカーを探して回った。だが、数は多いが、なかなか協力してくれるメーカーは見つからない。その理由について野澤はこう語る。
「インドの製薬メーカーの多くは欧米相手に数百億円という単位でビジネスを行っています。それに対して、日本向けは数億円規模。しかも、日本の法規制上、求められる品質は欧米と比べて格段に厳しいため、最初から取引先として相手にしてくれないのです」
⇒〈その6〉へ続く